ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

 神学教育を受けていない普通の信者が聖書を話し、学ぶと

いうことは、ブラザレンと他の多くのキリスト教会との違い

の一つです。この考え方は、ブラザレン運動が始まった当時、

非常に画期的な、革新的な考え方でした。当時の多くの教会

では(今でもそうですが)、牧師、神父と呼ばれる方々がお話

しするのが、普通だからです。なぜ、牧師、神父と呼ばれる

方だけが聖書から話す教会が多いのか、には理由があります。

キリスト教会が成立していく時代の中で、聖書は貴重なもの

でしたし、聖書の文字や聖書に関して書かれている書物の文

字を読ンで、理解できるというのは、特殊な才能でした。

特殊な才能だからこそ、その才能を持つ人だけが、比較的正

確にその意味を提示できる、ということから牧師とか神父と

呼ばれる方が、聖書からお話しすることになったといえます。

丁度、今で言うと、通訳者となれるのは英語をしゃべれる人

である必要がある、といったような意味で、聖書の専門家で

ある専門家としての教役者が求められたといえます。ただ、

フランス史に関する歴史書を読んでいると、神学教育を受け

たとされる人たちのラテン語能力はかなりあやしく、教会の

奉仕者の社会的地位は、乞食より増し、という程度だった

ことが記載されていたように記憶しています。

 一般人が聖書のお話をするといったあり方をとったのは、

ブラザレンが初めてではありません。ウェスレー主義また

はメソジスト系教会でも初期の段階では、普通の信者さん

が聖書のお話をしています。なお、メソジスト教会につい

ても、これまたジョン・ネルソン・ダービーがその考え方

を批判というよりは、私からすれば攻撃と評したほうがい

いような印象を与える書物が残っています。この書物を

日本語に翻訳した方から、送っていただいて読んだ記憶が

あります。ダービーという人は優秀な方かもしれませんが、

その後の影響を考えると、良い面、悪い面を含めて、影響

力の大きい人物だったと思います。)

 また、フレンド派(クエーカーとも言われる)でも、神

学教育を受けた牧師は特に必要とされていませんし、無教

会派でも神学教育を受けていない方がお話しするところが

多いようです。

 実際、ブラザレンの初期のころには、ブラザレンのグル

ープにクエーカーと呼ばれる人が活動した記録が確認され

ています。詳しくは、The Growth of the Brethren Movement:

National and International Experiencesの中に出てきま

す。

 神学教育を経験していない普通の信者が、聖書の解釈を

する考え方は、ブラザレンだけの行動ではありません。

まぁ、ブロードベントの信徒の諸教会には、そういうグル

ープの歴史が書かれているので、そのことは記憶した方が

よい、とは思いますいます。ただ、もともとは聖職者と呼

ばれる人たちを置かない運動をしたキリスト者のグループ

の中にも、ある段階から、神学教育を受けていない信徒に

よる聖書解釈や説教というあり方をやめ、神学教育を受け

た牧会者をおくところが増えてきました。アメリカやイギ

リスのブラザレンでは、神学教育を受けたpastor(牧師と

いうよりは牧会者)をおくところも増えてきました。そし

て、日本のブラザレンでも、神学教育を受けたpasterに

あたる責任者をおいたりするところも増えてきました。

イギリスやアメリカでも、信者が集る建物の呼び方を伝統

的なGospel Hall(福音館)やChristian Asseblyなどから、

Churchに変更するところも見られるようです。

 個人的には、そのほうがいいかなぁ、と思っています。

なぜか?ブラザレン運動が始まった時代と、いまとでは

社会環境(英国国教会のような政治と一体化した教会が

ないこと)がことなること、神学教育には、マイナス面も

あると同時に、プラス面もあり、プラス面まで否定する

のはどうか、と思っているからです。また、高学歴化し

た社会に対応していく中で、これまで多くの信者たちが

培ってきた聖書理解について、整理された背景を持つ教

役者の必要性があると考えるからです。異端化を防ぐ

ブレーキ役として。

 神学が不必要とされた背景には、聖書の各国語訳が確立し、

各国語訳されたものを読むかぎり、普通の文章を読める感覚が

あれば、ある程度の理解に達することができる。それで、福音

を語ることにそう問題はない(時には問題が起きますが)。そ

の通りです。福音の中核部分を語るのに神学はいらない。これ

また事実。神学的背景がない素人ならではの感覚を大切にしな

がら、普通に人に向けた福音を分かりやすく語ることができる。

不必要に神学的知識に振り回されることがない。また、その分、

初めて聖書に触れる方に不必要に神学用語を振り回して、不必

要な混乱を生み出すこともないからです。その意味で、神学は

福音宣教に必要ないという発見とそれをもとに、教会運営を考

える上では、革新的な動きだったといえると思います。この聖

書をもとに一人一人が考えるという立場は大事だと思います。

そして、素人っぽいを視点から、福音を分かりやすく、不必要

な概念に振り回さずに素朴な信仰を語ること、これは大事だと

思います。これを追求した結果、神学に対して否定的な視線を

もってしまった、という逆効果ももったようです。

 このブラザレン運動の一番の革新性は、「普通の社会人が普

通に話して、牧師と呼ばれる偉い人がラテン語やギリシア語な

どを多用し、普通の人の感覚からずれた話を延々語る教会では

なく、普通の人にわかりやすい、抵抗感のないスタイルで聖書

から神についての話を聞ける」ことを目指したところだろうと

思います。そして、日本のブラザレンでは、現在でも、この一

般信徒による宣教と聖書研究という方法をとっておられるとこ

ろが多いです。高等教育が普及する以前の経済発展途上の社会

であれば(職能の高度専門化が進む以前の社会であれば)、神

学教育の不在は大きな問題を持ち得なかったかもしれませんが、

現代の社会のような職能の高度化、分離化が進む社会の中にお

いて、神学教育の不在の欠点をなんらかカバーすることの必要

性を少し感じています。

 また、ブラザレンの信徒のグループでは、福音館、伝道所、

キリスト集会所、という名前を堅持しておられるところも多い

ようです。それはそれで、一つの見識と存じます。一度、公的

に看板を出している以上、軽々しく名称を変更することはしに

くいのも事実ですし。それと同時に、最近では教会を名乗ると

ころも、出始めたようです。それはそれで一つの見識だと思い

ます。こういうキリスト集会もぼちぼち出てきていますが。

キリスト集会と自らを呼ぶことで、他のキリスト者の方々のグ

ループとの差別化(違いを明確化)を図るための方法論の一つ

としている部分もあるため、結果として、社会のある程度の人

々には、不必要な誤解を生んでいるように思います。ラベルは、

分かりやすさと印象が重要。正確でも一般の方に分かりにくい

ラベルは、いかがかと思います。内的なこだわりは大事にしな

がら、キリスト集会も社会にある存在であることを、私は忘れ

ないようにしたいと思います。社会におもねるのではなく。

 明治期にキリスト教が定着し始めて、150年前後(琉球で

はもう少し前から)。戦後、様々な教会のグループの活動がは

じまって40年前後。個人的には、もう、日本社会に、キリス

ト教会という概念がある程度定着し始めた現段階では、教会を

名乗ってもいいかなぁ、と思っています。これは、所属キリス

ト集会の公式見解ではありません。個人的感想です。ブラザレ

ンの信徒の方にしてみれば、ほとんど、革新的な感想かもしれ

ませんが。

全1ページ

[1]


.
kaw*muk*ih
kaw*muk*ih
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

過去の記事一覧

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
お肉、魚介、お米、おせちまで
おすすめ特産品がランキングで選べる
ふるさと納税サイト『さとふる』
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事