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あるとき、信仰の劇的な信仰上の体験がないことを私自身、どうしたものかと思っていました。そこで、親しかったある第1世代のクリスチャンの方に、「実は、私自身、他のクリスチャン1世たちが、キャンプとか集会で証をするような劇的な体験ってしていないんですよ。信仰生活が10年以上あるにもかかわらず。なので、信仰経験の証について、どうしたら、と思うことが未だにあるんですよぉ。」というような愚痴ともつかぬ相談をしていたことがあります。もちろん、このような悩みを抱えながらも、その当時、皆さんに福音や学びのお話しもしていましたけれども。
実は、これは多くのクリスチャン2世に見られる悩みのようです。第1世代のクリスチャンの持つ鮮烈な神をいつ信じたという経験がない、ということです。つまり、記憶にのこるような強い経験がない2世信者が多いようです。もちろん、そうでない方もおられますが、私や私の家内も、同じような印象だった、ようです。そして、劇的な証ができる1世をうらやましく思い、自分もそうなれたらよいが、そうした経験はもてなかったので、自分自身が不完全な信者、1世に比べると劣っているのでは、というちょっと変な劣等感にとらわれたこともありましたし、自分は本当は信じているといえるのか、という疑問をもったものです。
それを1世の親に話しても、この辺の2世が抱える微妙な感覚は、どうも分かってもらえないことも多いようです。1世は自分の劇的な経験があり、それを基準に物事を捉えがちですので、そんなことはありえない、という思いがある方が意外と多いようなので、いつ信じたかよく分からない、という2世信者が存在するという現実を理解するのは困難なようです。ともすれば、自分の信仰を持ったときの印象に比べ、まともに「いつ信じたか分からない」という告白をする2世信者への対応に困っている第1世代の信者や「信仰を持ったときの確実な経験はないのか」という第1世代の信者の質問に困っている第2世代の信者からなるクリスチャン家庭が、少なからずあるような気がいたします。
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