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日曜学校でもらったものの最後です。
一番大事なものは、聖書の知識やごほうび、プレゼントされた本や鉛筆ではなく、信仰の種かなぁ、と思います。もちろん、具体的にもらったものは、信仰の種を育てる、あるいはそれを殺さないための土壌の環境整備として十分重要な意味があったのですが、それよりも、信仰の種自体のほうが重要だと思います。
今は、ちょっと斜に構えた性格をしていますが、これでも昔は純真だったので、素直に、日曜学校でのお話とそこに表現された信仰は受け取っていたと思います。日曜学校は、どっちかというとメインの働きと位置づけられていない場合が多いのですが、本当は将来のクリスチャンに対して、わかりやすく聖書のお話を伝えるという意味で、重要な働きだと思います。
私たちが以前所属していた集会では、日曜日の大人向けのお話が難しいので、わかりやすい子供向けの日曜学校に参加されたい、という年配の方も居られました。わかりやすく楽しいお話をする工夫というのが、ひょっとしたら大人向けのお話の時間でも、ひょっとしたら必要なのかもしれません。信仰の成長を助けていく、という目的のためにも。
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