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ブラザレン自体、普通の市民というのか庶民というのか、大衆が教会運営の中心をになって行くという運動ということであったわけです。
出発点において、教会運営から阻害されていた庶民や大衆、普通の人々が教会運営の中心を担う、ということは、非常に画期的だった訳です。その分自由度もあり、その分活気もあり、非常に民主的な運営形態が志向されたわけです。
庶民が教会の中心を担う中で、最初の段階では、元国教会の牧師やさまざまな教会の牧師、神学部の出身者が責任者となり、中心的な役割を果たして行きましたが、ブラザレン自体、学問としての神学は無用であり、神学部で学ぶことは、問題であるという立場がとらたこともあり、第2世代以降では、基本的な神学教育を受けることなく、聖書のみのモットーのもと、聖書と教会と職場の中だけでの経験とを通して教会運営にあたることになります。
その中で、アメリカやイギリスの教会では、すべての集会がそうだとは言いませんが、職場で管理的な立場や経験のない方が教会の責任者(長老など)の立場につくことがあったようです。高学歴者は、教会運営の経験は少なくとも、企業やさまざまの組織の中で管理や運営者の責任ある立場につくことも少なくなく、組織管理や運営の経験と研修機会のない方が教会の責任者である場合、信仰を持つことでの問題はないものの、ブラザレンの教会経験が長くなれば長くなるほど、高学歴者は教会運営能力が十分でない責任者が年齢が多いからという理由だけで、その地位を占めている場合、その責任者に失望する経験があるということが、Nathan Delynn SmithのRoots, Renewal and the Brethren, Hope Pub Houseにインタビュー付で書かれています。
もちろん、世の中の価値観や手法を教会に持ち込めば、それで問題解決ということにならないことは当たり前ですが、次の世代を支える牧会者をどう育てていくのか、牧会の任に当たる責任者をどう育てていくのか、経験だけと思われないような牧会者の育成手法を含め、検討していくことが重要ではないかと、思う今日この頃です。
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