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そう、重要な視点が抜けていました。儀式について、触れていませんでした。まぁ、これは紛糾しやすい論点を含むのと、外部の人にはわかりにくいし、外部の方にとっては、意味があまりないので、触れにくいのもあったのですが、触れていなかったですね。儀式ということも重要な信仰の要素です。ちょっとづつ触れていきましょう。
キリスト集会(諸集会と呼ぶことが多い)で聖書に従って執り行う、という公式の儀式は、バプテスマと呼ばれる信仰告白した信者が自分が信者であることを告白し、具体的な儀式を通して公に示す儀式と、イエスの十字架の死と3日目の復活を表し、そのことを覚えるための礼拝、または聖餐式と呼ばれる儀式です。
一応、このバプテスマと聖餐式の二つのみが、聖書の中にイエスの直接の言明があると考えられる儀式ですし、記述が比較的多い儀式であるので、これだけはどこのキリスト集会でも聖書に基づいた特別の儀式としておこないます。この辺は、他のプロテスタント系の教会と全く同じです。その意味で、プロテスタント系の教会に分類されうる、といってよいのだと思います。
バプティスマと聖餐式以外の儀式も執り行っています。たとえば、もちろん、お葬式はします。信者の方が物故されたときには、ご親族の反対がない限り、キリスト集会はご親族の方とご協力、ご相談しながら、いろいろなことをすすめていきます。もちろん、結婚式もしますが、これも本人のご希望と、ご親族の方のご意思が優先されます。婚約式については、するところ、しないところそれぞれです。
その他、儀式めいたものとしては、キリスト集会(教会)によっては伝道者や宣教師を送り出す際に、祝福式(按手式みたいなもの)もしますし、献堂式もします。物故された信者の方の親族向けに福音を語る機会として、物故された信者を思い出す会のようなものも開かれます。場合によって、大工さんの不安を除くために、上棟式の変わりに祝福式のようなものをするところもありますし、子供たちの無事な成長を願う式見たいなことをするところもあります。すべて、この辺は、その教会の責任者及び信者集団の自由な判断に任されているといってよいと思います。それぞれ、儀式をする、儀式をしないは、その集会のカラーとその集会が置かれた環境に依存するといってよいと思います。この辺の自由さ、というのはいいかなぁ、と思います。以前は、儀式はなんであれ、否定するという視点がかなり強くあったのですが、最近は、そうでもないところも増えてきました。
ブラザレンで、通常日本では、儀式をしているような目的での儀式について、否定してきたのは、若干その中に、呪術的なものが含まれるからだと思います。具体的には、上棟式などや、子供たちの祝福式、物故信者の記念式などでは、信者以外の家族のためとはいえ、ちょっと、土着信仰の雰囲気がほのかに漂うので、直感的に避けているキリスト集会がおおいのだろうと思います。
後、儀式を嫌うのには、儀式が形式的な要素を含むため、形式的な信仰、その儀式に従っているだけで、信仰があると誤解されやすくなる側面があるからだろうと思います。その意味で、儀式を重視する動きが、個人的な改心を伴う信仰を重視する、という聖書理解と抵触する部分がある、ということだろうと思います。個人的には、儀式も重要だと思うのですが。
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