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以下は、この理論が生まれてきた背景、そして広まっていった背景に関する理解です。この歴史的背景の理解は、私はディスペンセーション論の広まりを説明する上で、欠かせないことだと思うのです。
まず、ブラザレン運動の成立当時の社会経済環境です。私は、経済史の教育もまともに受けたことはありませんが、経済史の本などを調べると19世紀、ちょうどダービーたちがブラザレン運動を始めたころ(日本では明治維新のころ)ですが、農村から多くの人々が吸い寄せられるように都市や、炭鉱に集っていきます。そして、炭鉱や都市の劣悪な環境の下で働くことになります。児童労働や、女性労働に関する保護規定も何もない中、とりあえず国富を生み出すために人々は駆り立てられた時代でした。だからこそ、マルクスの思想が生まれたりしたわけです。イギリスの産業革命、華やかな万国博覧会で産業の時代が歌い上げられるその社会の裏面には、非常に悲惨な都市や炭鉱での生活があったわけです。また、孤児も町にあふれていました。それに対して愛情を注いだのが、ジョージ・ミューラーというドイツ人のクリスチャンでした。一応、この人もブラザレンに分類されます。
経済社会では生産力の増強のために、劣悪な労働環境で人々が働かされ、生産力の過剰が発生した場合、週給制度で雇われている労働者は、すぐさま解雇され、失業が発生するという超短期的な経済変動を繰り返す不安定な労働市場、経済環境だったようです。劣悪な環境下で働くか、失業するかのいずれかの選択を迫られる労働者が町にあふれており、その結果としての社会不安が渦巻いていたわけです。なお、イギリスでは、原則、週給制度が今でも幅を利かせているはずです。
以下、余談ですが、このイギリス社会での週給制度(大半は金曜日支給)が、毎週の献金という考え方につながっているように思います。まぁ、日本でも、人によって給料日が違うので、献金した人の特定をしにくくする意味でも、毎週の献金が合理的かなぁ、と思います。
経済的にも困窮する人々、それと対象をなすかのような豊かさを増す国家と一部の商工業者、人々の救済に当たるはずの教会も、世俗化が進み、教役者の一部には、人々の救済をするよりは、自己の富の蓄積に邁進する教役者も出てくる、という閉塞感や社会不安を抱かせるものが社会にあったのだろうともいます。
このような社会環境に直面すると、ブラザレンの初期のリーダーたちでなくとも、さばきの日、あるいは終末が近い、という思いをもっても不思議ではないと思います。
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