ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

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以下は、ディスペンセーション論全般に言えることではありませんが、ブラザレンの中で作り上げられていった、また、1980年代に日本のキリスト集会の中で伝えられたディスペンセーション論には、かなり当てはまると思います。なお、ディスペンセーション論の全てがカルト的な要素を持つ訳ではありませんし、ディスペンセーション論は、一種の聖書理解の方法論だと思います。私は、単純な適応に批判的ですけど。

■シオニズムのにおいが強すぎる点
 旧約聖書の預言を扱う関係もあり、時代背景もあるのでしょうが、イスラエル国家の再建、ユダヤ人への異様な関心がこのディスペンセーション論の背景の一部をなしています。ユダヤ人は、確かに神の選民、それは間違いないでしょう。出エジプト記で、モーセに対しても、アブラハム、イサク、ヤコブの神と名乗っておられるのですから。ただ、イスラエル(ユダヤ人)への約束を根拠としたイスラエル(ユダヤ人)への優位性について、必要以上に焦点を当てるのはいかがなものかと思います。
 シオニズムへの関心や傾倒が進んでいくと、どうしても、ユダヤ陰謀史観との関連性が強くなってしまうようです。となると、推測が推測を呼んでいく世界になりやすいように思います。シオニズムの問題は議論が紛糾するので、これ以上は触れるのはできないとおもいます。仮に、コメント、ご質問いただいても、私には答える能力がありませんし、そのつもりもありません。私はシオニズムの研究者ではないので、信頼できる1次資料、2次資料が私の手元に資料がなさ過ぎて、分からないというのが実情です。この話を考えるとき、存在するか否かだけではなくて、資料そのものの歴史的信頼性(捏造の可能性)を含めて検討しないといけないので、それは私の手には負いかねます。お好きな方で、ご検討いただければ、と存じます。

■間主観的に証明不能な陰謀史観に結びつきやすい点
 シオニズムのにおいが強すぎることのところでも触れましたが、シオニズムは、ユダヤ陰謀史観と結びつきやすいようです。
 19世紀においても、社会的な地位は低くても、経済的な地位が高いユダヤ人コミュニティに対して、反感的なものが当時のイギリス社会には、あったようです。この辺は、Chariot of Fire(炎のランナー)の雰囲気を伝えてくれています。いまひとつ、日本人には、ぴんと来ないでしょうけれども。
 特に、ユダヤ人コミュニティは、比較的閉鎖的だったようです。ビジネス上の利益を守る、ということもあったようです。このコミュニティには、経済的に裕福であっても、民主主義制度下にあっても政治的関与がなかなか認められない当時のユダヤ人の扱いがあったようです。イギリスにおいても、ユダヤ人コミュニティは、社会の外延部にあるコミュニティでしたから、一般の人には、その内部の様子が分からない。したがって、何かしらまずいことがあるのでは、という疑念を人々が勝手に想像したのだとは思います。確証はありません。シオニズム運動が、政治的な運動でもある以上、何かしらの陰謀があるのかも、という当てこすりに近い憶測を人々は持ったことでしょう。なんとなく、このディスペンセーション論の立場の方のお話を聞いたたびに、そのような印象が拭い去れないところがあります。
 閉鎖的な集団が誤解を生みやすいといえば、エクスクルーシブブラザレン(コンネクシアルブラザレンとも呼ばれます)と呼ばれるグループの一派であるテイラー派ブラザレン(ダービー派の関係がもっとも深い、Stoney, Raven, James Taylor Snr, James Taylor Jnr, と続いていったグループ)も閉鎖性が強いこともあり、不必要な憶測を生み、また、それが他者からの批判を生み出す要因ともなっているようです。

 先にも書きましたが、旧約聖書は、アブラハムの神、イサクの神、イスラエルの神という表現があり、アブラハムの子孫への神の祝福は約束されたものなので、イスラエルの祝福の約束と陰謀史観がくっつくと、いろんな想像がめぐらされやすいことになります。個人の頭の中で空想しているだけなら、知的冒険で済むのですが、その空想が責任者や評価を受けている人物の口から発言され、聞いている人々に自然に定着すると、それが事実として印象付けらる聞き手がでてくる可能性が大です。そして、聞き手は、聞きかじった知識を可能性として捉えず、それが真理と思い込み、適当なことを知り合いに伝える可能性が大です。その理解が一つの考え方でしかなく、その真実性の検証が十分されていない、ということはすっかり忘れて。

 聞きかじりの知識を元に話すことの危険性についての実話をお話しましょう。10年以上前、自衛隊を国連の治安維持活動に参加させるかどうかの議論が国会でなされていたころのことです。駅で電車を待っていたときのことです。ある中年女性が、その友人と思しき女性に向かって、「今PLOとかいう組織があって、とにかく日本の自衛隊がそれに参加できるようにしなきゃ・・・」と大声でご発言されているのが聞こえてきました。一瞬過激派か、と思いましたが、聞こえてくるお話を耳にする限り、どうも、公明党の関係者の方のようでした。しかし、自衛隊がPLOに参加するなんて発想は、怖くって。「PLO(Palestine Liberation Organization)」と「PKO(Peace Keeping Operation 平和維持活動)」と「PKF(Peace Keeping Force平和維持活動に当たる国連軍)」とがごっちゃになった例ですね。

 さて、人の記憶は、都合の良いこと、印象が深いことだけを記憶するという性質があります。ディスペンセーション論は、聖書の歴史について、分かりやすい理解のしかたを提示するというところに最大の特徴があると思います。しかし、それは、単純化されたモデルにすぎないと思います。理解の容易さを確保するために歴史を大幅に単純化したモデルです。聖書を分かりやすく理解する為の非常に単純化されたモデルということがおき去られ、モデルそのものとその周辺であるべき終末への関心だけが残る、ということの危険性を感じます。

とはいえ、手段の目的化は私も時々してしまうので、そうなってしまっている方々を非難して終わり、というつもりはありません。世の終りが近いかも、という気持ちを持つのは大切。だから福音を伝えたい、ということも大切。でも、普通の人たちの危機感を不必要にあおって伝道する、という発想は、「手段が目的化してるんじゃないかなぁ。」と思うと同時に、「危ないなぁ」と思います。

もうちょっと続きます。

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