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ブラザレン運動は、イギリスで始まり、そして世界各地に広まって
いきましたが、それは、後に述べるように、福音伝道にこのグループ
が熱心であったということがあると思います。しかし、このブラザレ
ン運動が成立する過程では、これまでの触れたように、クェーカー派
の考え方、国教会(アングリカンチャーチ)の考え方、また、カルバ
ン派の考え方、バプティスト派の動き、また、モラビア兄弟団の動き
など、さまざまな影響があることは否定できないように思いますが、
実は、ダービーがスイスで活動していたことも影響しているようです。
それについて、Tim GrassのGathering to His Nameの67-68ページには、
次のような記述が見られます。
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ブラザレン運動の登場とダービーの思想的な発展段階を考える時に、
英国での過激な福音主義のあり方へのスイスへの影響をいうことを考え
たほうがよいと思われます。多くの英国の過激な福音主義者は、スイス
をモデルとして想定していたようです。聖書主義、カルバン主義、信仰
の純粋性、困難性に立ち向かうあり方、自信にみちたあり方は、1920年
代にスイスにイギリスの過激な福音主義者の多くが注目したのでした。
(中略)
ダービーは1935年にスイスに行き、1837年末までそこに滞在していま
した。この間、ニュートンとダービーの集会に対する考え方の違いは次
第に明らかになっていきます。そしてプリマスでのさまざまな問題が次
第に表面化していましたが、ダービーは、『スイスに導かれることに特
別の反対する理由はないし、スイスに行ったことのあるある兄弟からの
話によれば、そこにも我々と同じような集会がある」と主張し、結局ス
イスを訪問しました。ジュネーブに着いたとき、スイスでのリバイバル
の動きの中で、1817年にスイス国教会にとどまれないとして分離して発
足したキリスト集会では、アービン主義的なあり方がスイスの各地の集
会で多くの問題を起こしている現実に直面したのでした。(中略)
ダービーの現地のリーダとの関係は、悪化していきました。何度も繰
り返し分裂していくキリスト集会の姿と国教会への敵意が合わさり、地
上における教会はどうにもならないほど劣化しており、それの代わりと
なるものを設立することは不可能であるというダービーの思いは深まっ
ていったのでした。
以上和訳による引用終わり
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スイスの集会の問題に関与していく中で、 ダービーは、既存の国家と
密接な関係をもった教会に問題があると言う印象を強くし、そして、それ
を悪Evilと見る視線を強くしていったようです。そして、スイスでの集会
の分裂に直面する中、自分達の動きと一致できないものの背景に悪(Evil)
があり、悪なる存在が教会の一致を損なうこと、キリストが悪との関係が
ないことの理解を発展(というよりは、個人的にはかなり無理な形で、展
開あるいは発展)させていった結果、分離主義的な考えを強めていったの
かなぁ、と思います。個人的には、この分離主義的なあり方が、他者への
批判的な言動や理解につながって行ったようにも思えますし、今尚、私自
身、自分のうちにこの分離主義的な視線があるように思います。この分離
主義的な考え方は、キリスト者としての一致やより広いキリスト者の方々
との関係の構築ということへ今ひとつ踏み込めない原因になっているよう
に思います。もったいないことと思いますが。
参考文献
Tim Grass(2006) Gathering to His Name, Milton Keynes, Paternoster.
ISBN 1842272209
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