|
教会と預言の考え方の違いは、ダービーとニュートンとの間
に深刻な問題を生み出したようです。日本でも1970年代には、
艱難前再臨説と艱難後再臨説で、戦中の迫害の経験を持つゆえ
だとは思うのですが、石濱さんは艱難後再臨説に立って、艱難
の存在とその中で生き残る信者の姿を強調してお話しておられ
ましたが、英国から来ておられた伝道者のデクスターさんは、
艱難前再臨説だったために、お二人の間で結構激しい議論が交
わされていたことを思い出しました。小学生でしたので、内容
はよく分からなかったのですが、なんでこんなにお話が盛り上
がるんだろう、ということだけは記憶に残っています。
Tim GrassのGathering to His Nameの72ページには、次のよ
うな記述が見られます。
---------------------------------------------------------------
ニュートンは、教会は預言の影響を受ける、と確信していて、
特定の現象がキリストの再臨の前に予想されるとしていました。
ニュートンは、ダービーの考えであるキリストの再臨の前に空中
携挙があり、それがキリストの再臨とは別の時期であるという理
解を否定していました。ダービーからしてみれば、ニュートンの
再臨の考え方は、天にある実態の一部として、教会は特殊な存在
であることを否定するもので、教会は、預言とは、一種無関係で
あるとするような考え方であると理解していたようです。
(中略)
Coadは、ダービーの預言理解に関するこの考え方から導かれる
結果を次のように説明しています。ダービーは新約と旧約の世界
を明確に分けていました。ダービーにしてみれば、旧約聖書に忠
実であることは、教会の中に含めることができるものではなく、
旧約聖書と新約聖書の二つは完全に別物であると考えていました。
反キリストの下での大艱難時代に置ける残された忠実なもの(レ
ムナント)、旧約時代の社会の復元であると考えていました。そ
の残された人(レムナント)は迫害の中でも神に忠実なユダヤ人
の群れであると考えていました。(註:これがキリスト以外に
救いがあるという誤解を生んだようです。)キリストの1000年王
国で、ユダヤ人に対する預言が文字通り実現することとなり、教
会、即ち、恵の時代の聖徒達(クリスチャン達)は、地上におけ
る支配とは関係がないものと考えていました。ユダヤ人の残され
た人々が地上に関して希望を持つ(註:つまり、地上で神ととも
に歩んだ時代のようなイスラエルの回復があるという考え)と比
べ、教会への約束は、基本的に天国に関するものとして理解して
いました。ニュートンにとって見れば、この教えは、二つの救い
のあり方(註:ユダヤ人の救いとキリスト教徒の救いの二種類の
あり方)があることを意味した。(以上、CoadのA History of
Brethren Movementの 130−131ページからのGrassによる引用)
この件に関して和解を目指して手紙のやり取りがおこなわれま
したが、結果としてうまくいきませんでした。ダービーは、ニュ
ートンが、ダービーとニュートンの友情が終わったと、ダービー
に告げたときの面談は、不愉快なものであったといっていました。
ダービーは平和を保とうとしたと主張しています。ニュートンは、
ダービーとの理解の一致が保てないことで長らく落ち込んでいた
ということを後に明らかにしています。プリマスでは、ニュート
ンの考えと異なるものを受け入れないようになったと、ダービー
は後に非難したが、この段階では、ダービーはニュートンとの考
えの違いを何とか近づけようと努力したのでした。
(中略)
ダービーはプリマスの集会の雰囲気がこの件で大きく変わった
という見方をしていました。
以上和訳終わり
---------------------------------------------------------------
聖書理解の対立というのは、結構厳しいなぁ、と思います。
本来、神の前に一致として始まったキリスト集会ですが、聖書理
解の細かな違い、特にユダヤ人の救いの問題と預言、教会に対す
る考え方が、ニュートンとダービーの間で分離が起きただけでな
く、エクスクルーシブブラザレンとオープンブラザレンの2種類の
グーループに分離するまで大きな問題を生んだようです。オープン
ブラザレンも、エクスクルーシブブラザレンも、その後、非常に多
くのグループに分かれていったのですが、こんな形に分裂していっ
た背景も、なんとなくは、理解できます。ブラザレンの組織論の
最大の特徴は、組織がない、ということですが、それは良い面と
悪い面があって、これらの両者を調停する機関や組織がないことも、
分離しやすい傾向に拍車をかけるんだろうなぁ、と思います。教会
(キリスト集会)の中を2分する動きになった場合、本当にその影
響は深刻だと思います。その中で、一番被害を受けるのは、対立し
ている信者同士ではなく、それに巻き込まれる信者だというのが、
私の観測です。
神の前の信者同士の愛と平和、そして他者を受け入れるそのあり
方を大事にしたいと思っています。
参考文献
Tim Grass(2006) Gathering to His Name, Milton Keynes, Paternoster.
|