ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

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しかし、ニュートンとダービーの分裂騒動が起きた直後にニュートン

は奥さんをなくします。精神的なダメージは、かなりのものではなか

ったか、と想像します。そのこともあったためか、ニュートンとダー

ビーの間の論争は、一時は止まっていたようですが、ダービーが書籍

(というよりはパンフレット)を出版することで、議論が再燃したよう

です。

Tim GrassのGathering to His Nameの75ページには、次のような記述

が見られます。
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 1846年の5月18日にニュートンの妻がなくなり、ダービーが9月に

『事実についての詳細について −Ebrington Streetの会衆派の集会の

ある著作者の分離の問題に関して−』と題する本を出版するまで問題が

更なる展開を迎えることはありませんでした。この本は、ニュートンが

ある「システム」を教え込もうとしているという点に絞って、ニュート

ンを集中的に攻撃するかのような書籍でした。ダービーは、教役者には、

個人と神とを区別する権威が与えられているので、そのシステムを全体

として受け入れるのは悪魔の働き(註:Satan's work こういう言い方を

することは、適切なんでしょうか、と私は思います。)のしるしである

としていました。

ニュートンが聖書研究会に普通の信者が参加することを拒否しているこ

とをダービーは攻撃していました。ニュートンが一般の参加者の聖書研究

会への参加を認めていなかったのは、普通の信者が教益者の権威に疑問を

差し挟んだりする可能性があることや、また、ダービーはプリマスでの聖

職者主義の傾向が続いていること、開かれた牧会のあり方が制限されてい

ることを問題視していました。
以上和訳終わり
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ニュートンは、ニュートンで、オックスフォード出身のやはりエリート

主義者だったのかなぁ、と思い増す。『日の名残り』という映画があり

ますが、それを見る限りイギリスのエリート社会にしみこんだ思想とい

うものから抜け切れなかった、一般信徒を信頼し切れなかった人物だった

のかもしれません。これは、歴史家には本来許されない、私個人の想像

の部分です。ダービーも、エリート層の出身者ですが、彼が出たのは、

アイルランドの大学(Trinity College)であり、そのことも微妙な影を

落としているのかもしれないなぁ、と思います。これも、本来歴史には

許されない、想像の部分です。多分、その影響はなかったとは個人的に

思いたいですが。

参考文献
Tim Grass(2006) Gathering to His Name, Milton Keynes, Paternoster.
ISBN 1842272209

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