ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

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前回の投稿で、戦前にブラザレン運動に関与していった信者を

ひとまとめにして議論しましたが、微妙な違いが1920年代まで

と15年戦争が始まった1930年以降では、あるはずですが、そこ

はサンプルが少ないのと、直接のお知り合いがいないので、

かなり大まかなくくりでしか議論していません。申し訳ありま

せんが。引き続き情報収集を行っています。皆さまからの情報

提供お待ちいたしております。

 さて、今回は、1945年以降1950年代までにブラザレン運動に

関与していった人々のお話をしていきたいと思います。

 この時期は、日本がアメリカに占領されていた時代の戦後の

精神的、物質的混乱を想定しておく必要があることと、GHQの

占領政策の一環として、海外からの宣教師への優遇についても

理解しておく必要があります。

 まず、戦争中、国家総動員体制の下、どの程度の影響があっ

たか定かではありませんが、天皇を中心とした国家観、組織観

が日本社会にある程度影響しました。特に国民学校と呼ばれた

初等教育機関での軍国教育は、かなりのものであったことが、

歴史的にも検証されています。それが、敗戦、GHQによる占領

で一気に否定されていくわけですから、否定された日本人の精

神的動揺は、想像を絶するものがあります。

 そこで魂の平安、神との平和、人生の価値を熱心に説明した

海外からの宣教師、伝道者が果たした影響は、非常に強いもの

があります。そして、多くの人が、聖書に触れ、キリストに触

れ、信仰を持っていくことになったものと思われます(ライブ

でこの時代を知らないので何ともいい難いですが)。つまり、

皇国史観や軍国思想に代わる思想的体系の提示がおこり、そ

れが人々をひきつけていきます。非常に多くの人々が教会に

集まったようです。それも、パッと見で外国人と分かる

宣教師たちが、ここに新しい価値観があり、生き方がある

と提示したものが、イエスの福音だったわけです。

 ただ、それまでのキリスト教会(キリスト集会では、教派と

か教団といった否定的な意味を含んだ語が用いられる)は、

インテリ集団のための教会という側面が強く、一種リバイバル

の様相を見せつつも、教会に定着した人は結構少なかったよう

です。しかし、それでも一定程度の方々は教会に定着して

行きましたので、教会自体がかなり大きくなりました。この

あたりは、「日本の信徒の神学」隅谷三喜男 日本キリスト

教団出版局(2004)に詳しいです。このあたりのこともあり、

2009年現在、教会の高齢化が議論に上っていますが、高齢化

している信徒層のかなりの部分は、この時期の信者だと思い

ます(今でいえば、70代から80代の信者さんでしょうか)。

 大正デモクラシーは不況を原因とした社会混乱の中から

生まれた運動で、この時期と大正リバイバルが対応してい

ること、戦後の民主主義への期待は、敗戦を原因とした

社会混乱から生まれた運動で、終戦直後のリバイバルが対

応していることを考えると、社会的混乱や社会的な精神の

安定性を欠いた時代には、一種リバイバル的な信仰への

希求がおこるようです。

 このような一般的な社会的背景の中、ブラザレン運動に

関与していく多くの信者が戦後急速に増加していきます。

何人かの代表的な人物がありますが、個人的に確認が

取れている範囲では、前橋のKさんなどが直接本人の証や

福音メッセージを聞くなかで、この時代から関与していか

れたことを、お聞きしています。すでに、神の許におられ

るはずの方では、日本橋のSさんがこの時代の方です。こ

れは、「雲のごとく」にご本人が書いておられます。

中国インランドミッションの道が閉ざされたことによる

英国系宣教師(中国インランドミッションは、ジョージ・

ミューラーの思想に大きく影響を受けた、ハドソン・テ

イラーに始まる伝道ミッションで、現在のOMFやTEAM

(いのちのことば社の母体)の出発点となっている)が新

たな宣教先として、近隣の日本を選択(韓国は朝鮮動乱

で混乱していたこと、台湾は、中国の本土への併合の可

能性があったこと)したことから、非常に多くのブラザ

レン運動に関係する宣教師が日本での伝道活動に従事し

ます。それを支援しながら、伝道していったのが、この

時代の信者さんの特徴です。

 その意味で、非常に伝道熱心でしたし、教会(キリス

ト集会)自体の運営の方法論がまだ十分定まらない

環境の中、現在のキリスト集会の基本的な行動様式を

生み出していった時代です。

 戦後の物資不足と社会精神的な不安定性の中での活

動ですから、路傍伝道や天幕伝道でも、ある程度人が

集まったということをお聞きしています。また、この

時期に信仰を持ったとしても、聖書があれば十分でし

たし、ほかに読むべき信仰書も出版点数は少なく、

また、かなりの部分の信仰書や聖書の註解書類も、

ドイツで戦前から進められ、英語圏で発達してきた

自由主義神学の影響を大なり小なり受けたものがか

なりであったはずですから、神学への否定的な意識は

この時期に形成されたとみてよいと思います。また、

理知的な自由主義神学及びバルト風の新正統主義神学

の影響(新正統主義神学の理知的側面)を嫌った宣教

師たちの暗黙的、また明示的なこれらの神学的潮流

に対する否定的な言及もあったのだろうと思います

(ここは推測の域を出ません。これを確定する証言が

得られていませんし、これからも得られないと思い

ます)。

 なお、ある方のブログに面白いジョークが紹介され

ていました。

http://seikouudoku-no-hibi.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/vs-6686.html

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話は変わりますが、かつてこんなジョークがありました。


「神学は、ドイツで興り、イギリスで変容し、
 ついにアメリカで堕落する。」


バルトがビリー・グラハムの伝道方法に嫌悪の念を持った

理由がわかります。

ところで、このジョークには落ちがあります。

「そして堕落したものが、日本に来る(!!)」

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その意味で、必死で宣教師の方たちは、堕落した神学

から、日本の信徒を守ろうとした結果、日本のブラザ

レン運動に関する多くのキリスト教会(キリスト集会)

では、神学嫌いの雰囲気が生まれていったのかもしれ

ません。

 とはいえ、この時期の信者さんたちは、ほとんど

何もない中、ひたすら聖書を読まれ、聖書と提灯だけ

を手に路傍伝道にいそしまれ、現在のキリスト集会

(キリスト教会)のグループの基礎を作られたかと思う

と、頭を下げずにはおられません。ただし、それゆえ

に、神学不要論が生まれた部分もあると思います。

各地で、家庭集会を基礎としながら、聖餐式、伝道

が行われていきます。もっとも、熱心に路傍伝道や

天幕伝道が行われたのは、この時期だったように思い

ます(これも推測です。なにせ、後付けしようにも、

手元にある資料が少なすぎるので。情報をお持ちの

方からのコメント欄への情報提供をお願いいたしま

す)。

 昭和20年代の信仰者は、混乱の中からの霊的な

安全確保という救いという側面が多少なりとも

あると思われます。

 余談ですが、ハドソン・テーラーは、中国への出発

前にブリストルのジョージ・ミューラーらの集会に参

加した記録が残っています。

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