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今日は、1960年代に救われた方々を対象にしたいと思います。
この時期は、団塊の世代が、大学に行った時代で、学園紛争が
華やかなりしころでした。戦後民主主義の忘れ形見みたいな
ものだとは思います。経験したことがありませんが、大学は
封鎖されるは、教授陣相手に学生が団体交渉(団交というそ
うです)するはで、大学の基本的な理念やそれまでの価値観
を大きく変容させたのがこの時期です。一方で、東京オリン
ピックが開かれ、万国博覧会が大阪で開かれることがきまり、
東海道新幹線が開通し、名神の一部区間の供用が始まり、
といったバラ色に見えた未来があった半面、学生闘争に明け
暮れる○革派や革■派が乱闘をキャンパスで繰り広げていた
時代で、あさま山荘事件の前哨戦があちこちでひらかれてい
た時代でした。成田闘争やベ平連というのもありましたねぇ。
アメリカが、ベトナムで戦争していた時代です。しかし、
アメリカの主戦場が、朝鮮半島、ベトナムへと移っていった
ことから、国内の基地がほとんどなくなっていた時代でもあ
ります。
また、地方からは、高度経済成長で活況を示す東京、大阪、
名古屋といった大都市に人がどんどん集まった時代でした。
地方に大量にいた若者(今では夢のような話ですが)を掃除機で
吸い取るように、都市部が集めた時代でもあり、現在の日本の
人口構造の基本計が成立し始めた時代でもあります。
そういう雰囲気でしたから、この中でキリスト集会に参加す
ることになった方々は、ラジオ伝道とか、個人伝道、路傍伝道
などで聖書のお話を聞き、キリスト集会に参加した方だろうと
おもいます。
基本的には、この時代は、まだ、社会全体、とりわけ若者全
体の中に反動的な雰囲気や、権威に対する挑戦的な態度がみら
れたわけではありませんから、権威に対する挑発的な見解を持
たない人々は、それほど違和感なくキリスト集会の人々とお話
しできたと思います。
昔からそうですが、人間的な成熟が不足する分だけ、若者は
悩みやすく、そのための方針を示してくれる聖書のことばは、
多くの人々に悩みからの解放を伝えたと、と思います。
それと、強力掃除機のように若者を都市はひきつけていっ
たとはいえ、その若者に人生の指針を示すものがそう沢山あ
るわけでなく、地方で構築された人間関係と断絶する形で
都市部に出てきた若者(当時は、労働集約的な産業が多かっ
た時代でもあり、企業にとっての有望な労働力であり、会社
に収入をもたらすため、金の卵と呼ばれた)は、孤独であり、
悩んでいましたし、遊ぶためのお金もそう沢山あるわけでは
なく、旅行に行ったりするためのお金もそうあるわけでもな
い、ディズニーランドが浦安にあるわけではなく、富士急ハイ
ランドすらできて間もない時期でした。豊島園は古いので、
昔からあったようです。
当時は、歌声喫茶という今のカラオケの走りみたいな喫茶
店もあったようです。いまだに、喫茶店でカラオケしている
ところがあるのは、その名残かもしれません。スタバ・タリ
ーズ世代の方にはわからないでしょうが。(ちなみに、歌声
喫茶にも、カラオケ喫茶にも言ったことはありません。)
いずれにせよ、退屈で、暇をもてあまし、悩んでいる若者、
それに聖書の中心メッセージが伝わると、どうなるか。かな
りの人が教会に集まったようです。当時の会社員は、高卒が
当たり前なので(今ほど大学が大衆化していなかったので)、
教会というとちょっとインテリ風の気分も味わえたし、
外国人宣教師がいれば、それはもう、見たことのない外国に
直接触れる機会だったわけです。
この時期の時代を知る伝道者の方の印象的な一言。「あの
ころは面白いように集会に人が集まった。」うーん、そんな
時代があったんですね。
今みたいに、テレビがあるわけでもない、インターネットも
ない、WiiもXboxもない、旅行に行く金もあまりない、スポーツ
といってもせいぜい卓球程度(だから、温泉旅館には、卓球セッ
トが設置してあるのでは?テニスはラケットとボールが高級品、
だから、今上天皇明仁(陛下)と美智子皇后(陛下)が軽井沢の
ユニオンチャーチの前の軽井沢会のテニスコートでテニスをな
さっておられたのは、テニスがお金持ちのスポーツの一つだっ
たからです。
テニスやスキーなんてのは、金持ちのスポーツ)だったわけで
すから、考えてみれば、お金がなくって暇だけがある当時の若者
の皆さんにキリスト集会って、結構いい環境を提供していたとい
えようかと思います。考えてみれば、無料で西洋の香りのする聖
書のお話を(レベルはどうであれ)してくれて、知らなかった西洋
文明の基礎となったといわれる聖書について教えてくれて、さび
しければ話を聞いてもらえて、おまけにお茶やお菓子、時には食事
の接待までしてくれる。ところによっては、英会話が学べる。
独身者にはたまらないですね。集まらないほうが不思議。だから
こそ先ほど紹介した、ある伝道者から聞いた一言、「あのころは
面白いように集会に人が集まった。何やっても人が集まった。」
ということになったのではないかと思います。
この時期、芸能人で最初のキリスト教式の結婚式がいとなまれ
た時期で、それがニュースになった時期のはずです。それまでは、
大正・昭和期に成立した神道式が主流です。その意味で、一つ
社会が変革しつつある時期だといえるでしょう。
また、この時期、各地のキリスト集会は急拡大していきます。
この辺は「雲のごとく」にある程度書かれているので、引用は
しません。伝道出版社からお買い求めください。(あ、伝道出版
社のアファリエイトではありません。)
この時代に青年期に救われた方方には、結構真面目な方が多
いので(あくまで印象論。証拠は示せません。ときどき親父
ギャグ連発の方もおられますが)、日本の経済的成長と日本の
キリスト集会(キリスト教会)を支えてこられた方々が多いも
特徴だと思います。自負されておられるとは思いますが、口
には絶対に出さないタイプの方が多いような印象です。
ところで、それで、今書きながら思ったんですが、キリス
ト教会の伝道方法というのか、アウトリーチの方法って、こ
の時代そのままのところが多いような気がする。40年前の方
法ですよね。
「昔の名前で出ています(わからない人は、おじいさんかおば
あさんに聞こう)」どころではないくらい古い。うちの息子に
言わせれば、方法論として「昭和だねぇ。」ということなんで
しょう。それを続けるのも見識、変えるのも一見識。そんな気
がします。
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