ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

 今日も、小渕さんの文章を用いながら、キリスト教会

(キリスト集会)での信者の成長ということを考えて見

たいと思います。また、この成長の目線の先には、伝道

活動ということがあるように思います。非常に示唆に富

む視線が得られると思います。

(引用元 小渕春夫(2009)牧師と信徒、相互の霊的成長

を求めて,牧会ジャーナル 2009年夏号 8ページ)

---------------------------------------

 彼は、私の人生、家庭事情、私の興味について感心を向

けてくれた。しかし集っていた教会では、私が「どういう

人か」についてあまり興味がないようだった。どんな悩み

や信仰上の課題があるのかより、教会の行事に「出席」して

いるかどうかで見ていた。洗礼を済ますと一人前とみなさ

れ、奉仕が求められた。教会ではみなが忙しく、よほど重

大事でない限り、指導者と時間を取ることはなかった。

「青年会」と称するものはあり、学びの機会は不定期にあ

ったが、メンバーは固定せず、会話も活発ではなく、年上

のリーダーの話を聞くことが中心だった。

(引用終り)

「彼は、私の人生、家庭事情、私の興味について感心を

向けてくれた。しかし集っていた教会では、私が「どうい

う人か」についてあまり興味がないようだった。」

 厳しいことばですが、私自身の問題として受け止めてい

きたいと思います。実際、私のこれまでの伝道活動にして

も、マスで人を見ること、人を個別視しない伝道をしてき

たけれども、人を個別視して、個人に関心を持って伝道し

たことって、実は限られていました。日曜学校の奉仕にし

ても、伝道メッセージしにしても。多少は配慮することは

あっても、誰がこられる分からない以上、一般化したお話

にするしかないことがおおいからではあります。

 ある特定の方がこられることが分かっていれば、多少そ

れに配慮した部分は入れるにしても、その特定の方に向け

て話すこと、個人的にアプローチすること、というのは少

なかったかもしれません。未だに、個人伝道、特にあまり

よく知らない方への個人伝道は苦手中の苦手。それではい

かんのでがねぇ、と思いつつもどうしても得意になれませ

ん。スカルの井戸の女の話、ベテスダの池のそばの病人の

話、いずれにしても、個人伝道です。意外と盲点。実は個

人伝道というのはきわめて重要なのかもしれない。また、

信者の成長にとっても、個人ベースのお話というのは重要

なのかもしれないと最近は思っています。 

 「どんな悩みや信仰上の課題があるのかより、教会の行

事に「出席」しているかどうかで見ていた。」

 うーん。耳が痛い。私の心の内側を覗かれたような感じ

がする。そうではない、と頭では思っていても、どうして

も、出席だけで信者を見ている自分が絶対にいる。頭が痛

い。でも、考えないといけない。ただ、そのことに気付い

たとしても、他人が悩んでいることに気付いても、それを

言ってもいいかどうか、個人のプライバシーに土足で踏み

込んでいいのか、ということに関する恐れがあり、今一歩

踏み込めない自分がいる。うーん、もうしばらく考えよう。

「洗礼を済ますと一人前とみなされ、奉仕が求められた。」

現在の私自身は、「洗礼=一人前」を求めないけれども、

私自身は、「洗礼=一人前」は求められたなぁ。バプテス

マ受けた次の週から、日曜学校では教えられる立場から教

える立場に。これはきつかった。前にも書いたように、年

長者の方がたくさんいらっしゃったので、高校生でいきな

り説教壇にたつ必要はなかったけれども、司会はしていた

よなぁ。無言の時間が長く続くことに堪えかねて、礼拝で

讃美歌を選んだり、祈ったりしていたよなぁ。ただ、英国

籍の宣教師の方が、賛美歌の選び方とか、基本的な祈り方

のルールといったこと基本的な線を個人的におしえてくれ

たので、それは助かったような気がする。今は、信仰歴の

浅い人たちがどう聖書を読みこなしていくのか、というこ

とに関する学びがしたい。そして、ちょっとでも信仰歴の

若い方々が成長するためのプログラムがしたいなぁ、と思

っています。

「学びの機会は不定期にあったが、メンバーは固定せず、

会話も活発ではなく、年上のリーダーの話を聞くことが中

心だった。」そう、青年会といいつつ、年上のリーダーの

話を聞く会に終始しているところもないわけではないよな

ぁ。そういう会をしたこともあった。聞くという訓練を受

けていない。これは痛い。話すことの訓練は受けても、聞

くことの訓練を受けていなかったような気がする。そうい

うロールモデルをあまり私自身持ち得なかったような気が

する。この間、佐藤優の「神学部とは何か」を読んだ中に

目が釘付けになった一文があった。「牧師とか神父とかは

どんな無茶苦茶な話でも一応最後まで聞く訓練を受けてい

る。だから悩んだら、教会に行け。」という趣旨の文章で

ある。これを受けていない。まずい。そういえば、イエス

自身、「あなたは私に何をしてほしいのか」と問いかけた

全知全能の神であったことを考えると、「聞く」というこ

とは大切だと思う。聞かせるのではなく、語ってもらうこ

と、聞くことの努力してみよう、と今は思う。

全1ページ

[1]


.
kaw*muk*ih
kaw*muk*ih
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30

過去の記事一覧

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事