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水谷さんという方の「命と性の日記〜日々是命、日々是性」の
2008年9月28日の記事に、
「恋は落ちるもの、愛は育てるもの」
http://blog.chiisana.org/?eid=909109
という記事がありますが、恋は、一時的な状況、というのはその通
りだと思います。だからこそ、「荒野に行って神の声を聞く」必要
があるのだと思います。恋は、一時的な状況であるからこそ、間違
いも起こしやすいし、その同じブログの2008年9月15日の記事にある
ように
「よく知り合う前の性行為、それって「交尾」だろ?」
http://blog.chiisana.org/?eid=902708
ということが、現代の日本社会では、それほど異常である、という
印象を持たない方が増えてきているという現実はあると思います。
若いブラザレンの信徒の方々にも、その社会風潮の影響は全くない
とは言えないと思います。逆に、全く影響していない方がおられる
としたら、その人は社会と関係が薄いということで、少しその立場
を考え直したほうがいいかもしれません。ブラザレンの信徒も、普
通の方々に福音を伝えていけることを考えると、あまり、世間と離
れた生き方、ということはどうか、とも思います。
ところで、とんねるずの「ねるとん紅鯨団」で合コンが当たり前
の行為になった日本、恥ずかしげもなく、異性交遊のありようが語
られる「恋の空騒ぎ」が日本の若者に与えた影響は少なくないと思
っています。そして、ブラザレンの若年層の信徒にも。
恋に落ちることは、キリスト者でもおきます。そのことは罪では
ないと思います。しかし、恋に落ちた結果、そのまま「姦淫」へ走
ることは避けるように聖書は実例を用いながら、言っていると思い
ます。結婚以外の性行為の問題は避けるべきであるというのが基本
的な聖書の理解であると私は思います。ただ、今の高校生や大学生
に「姦淫」についての一定の理解があるかどうかということはかな
り疑問だと思います。
なので、以下では、私の聖書理解を簡単にお示ししておきたいと
思います。これが正しい理解である、といった主張をするつもりは
ありませんが、私の聖書の基本的理解は、概ね次のようなものだ、
として私は理解している、ということでご理解ください。聖書の基
本的な理解としての「姦淫」とは、「聖書全体の倫理にそむく性行
為」であることになる、と思います。従って、姦淫とは「結婚とい
う枠組み以外での性行為」の総称としてよいと思います。さらに、
姦淫は避けるべき、ということが旧約及び新約聖書の中に、相当回
数出てくる以上、基本的に「姦淫」をさけるべきである、というこ
とは聖書の基本的主張であろうというのが、私の理解です。つまり
「恋に落ちた」としても、結婚式が終了するまでの「性行為」は、
すべてNGということになります。「恋に落ちる」可能性のある若い
方々には、世間的な基準に惑わされることなく、聖書の基準に従う
べきだろう、と思います。そして、「恋に落ちた」場合、恋を愛に
変質させていくために、そのことを確認するために「荒野に退く」
事が大事だと私は思うのですが。
古臭い、カビの生えたような恋愛論で申し訳ないのですが、個人
的には、一生をかけての真剣勝負である「結婚」に挑むためには、
一時の感情に流されず、神の前に静まることが重要だと聖書はいろ
いろな事例を通して、いっている気がするのですけどねぇ。
ジイ様としてはそう思います。
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