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不幸にして、戦国期以降の日本には、聖書は、ヨーロッパ経由で
入ってきました。特に、明治期以降は、アメリカ人宣教師などによ
り伝わってきましたし、第2次世界大戦後も、13年戦争における
戦勝国のアメリカ、イギリスの国籍を持つ人々が大量に伝道者、宣
教師として日本での奉仕をするために来られたわけです。特に、中
国が共産化したことに伴い、インランドミッションとしての宣教師
としての活動ができなくなり、アジアでの伝道ということで、日本
に多くの外国籍の宣教師の方がこられます。もちろん、ドイツから
も来られているので、比率としては、戦勝国の国籍を持つ人々が多
かったということであり、第2次世界大戦の非戦勝国の人がいなか
ったというわけではありません。
戦後の日本は、それこそノミ、シラミに加え、日本脳炎、結核、
コレラなどが蔓延する衛生環境がお世辞にもよいといえない国でし
た。現在のように、そこそこまともなパンなどがどこでも買える国
ではなかったです。それこそ、1940年くらいからは、5年ほどの間、
国のあちこちで鬼畜米英というスローガンが叫ばれ、適正国人とし
て、これらの国籍の方々は日本から追放され、国民の大半は英米の
生活を想像することすら困難な人々が人口の95%を占める国だった
わけです。戦後、戦勝国の国民で、GHQの支援がある程度あり、敗戦
国の割りに治安が良く、親切で礼儀正しい国民性を持つ国民の住む
国(おおむね、という意味ですが)ではあったとは言うもののヨーロ
ッパの国家から来られた方にとってみたら暮らしやすい国とはいえ
なかったと思います。少なくとも、当時の欧米のまともな生活文化
と同等の生活文化を維持できたわけではありません。だからといっ
て、その国の言語や文化と不可分となった福音を持ち込んでよいと
いうわけではないとは思います。
ペンテコステ派だけではなく、多くの福音派と呼ばれるプロテス
タント教会でも、戦後直後の時期の宣教の実態としては、文化的要
素が入った福音が福音として語られ、日本人社会と軋轢を生むよう
な宣教方法が取られ、また、そのような態度を取るように信徒を指
導していったという側面はあると思います。ブラザレン運動におい
ても、同じような傾向は見られたように思います。つまり、文化と
宣教との関係を十分理解されておられない宣教師の方が、ブラザレ
ン運動の関係者にも、また、他のプロテスタント派の教会にも少な
からずおられたように思います。
そのときの考え方が、未だに影響した結果、不幸な思いをする信
者の方が少なからずあるように思うのです。
ところで、戦時下のイギリスは、V2ロケットは飛んでくるは、戦
時下体制だったということもあり、まともな食生活があったわけで
はない、ということをアメリカに移住したイギリス人女性の方から
聞いたことがあります。そこそこ裕福なご家庭の出身者でしたが、
戦争中はジャガイモが食べられればよいほうで、雑草を煮炊きして
食事した、というお話をお聞きしたことがあります。戦争は本当に
するものではない、と思います。
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