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以下の文章は、私の所属するキリスト集会の見解ではなく、私の調査
結果に基づく個人的見解です。このシリーズの記事について、修正すべ
き点や、追加したほうがよいと思われた場合は、コメント欄等で、お知
らせいただけると嬉しいです。
日本で、キリスト集会(プリマスブラザレン系のキリスト教会)の信者
が伝道を始めてから、100年あまり経ちますから、ある程度の歴史を持っ
ています。エクスクルーシブ・ブラザレンまたはコンネクシアル・ブラ
ザレンと思われる同心会さんでは、ある程度の歴史の整理が進み、文書
化がなされていますが、それ以外のところでは歴史の整備が進んでおら
ず、伝道出版社刊行の『雲のごとく』という出版物、『アイルランドの
赤いユリ』などの個人の伝記、石浜義則著『私の歩んだ道 主イエス・
キリスト』などに断片的に載せられた記述をもとに、また個人への
インタビューを基に再現していくしかないというのが実情のようです。
戦前から、様々なスピンアウトがあり、また、英国のブラザレンから
の影響を間接的、直接的に受けて始まった独自のグループ、日本に来て
別の団体の宣教師がブラザレン運動に触れて、そちらに関与するように
なったグループなどもありますので、一概にまとめて歴史を語るのは難
しいところもあるのですが、ある程度、考えがまとまりつつあるので、
書いてみたいと思います。
日本のキリスト集会でも、割と初期から、会堂を保有した集会があり
ます。しかし、キリスト集会の大半は、個人宅での家庭集会(家庭礼拝)
が主だったようです。石浜義則さんの個人的な活動の履歴を追ってみても、
1950年代までは家庭集会というような形での集会運営が行われています。
つまり、家庭の6畳間に、座布団などを敷きながら、家庭礼拝の延長線
での集会運営が行われています。1950年末ごろの神戸にあるキリスト集会
の内部の写真をみたことがありますが、板の間に座布団敷きで座っている
信者たちの写真でした。つまり、家庭集会の延長が集会所で行われていた
ことを示す写真です。
以前にも触れましたが、大英帝国内で始まった直後のブラザレン運動
自体、英国における家庭の居間を中心として行われたこともあり、家庭
集会の延長という伝統を持つ部分もあります。『ダラム便り』という山
田さんという方が書かれた本では、家庭が、神の国のモデルとなってお
り、その象徴的な部分は家庭の食堂やリビング(居間)である可能性が
あることが触れられていました。
イギリスのブラザレン運動が、家庭集会としてはじめられたこともあ
り、その分、家庭的な雰囲気が尊ばれていたようです。教会への分離か
ら運動が始まったこともあり、それが大規模な教会建築物を保有する教
会との差別化の象徴、あるいは、差別化の一つの基準となってきたよう
にも思います。
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