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日本の多くの集会は、家庭集会で始まり、当初は、10人程度の規模の
一般家庭の居間で開催していたため、教会と呼べないような教会(キリス
ト集会)が多くありましたが、参加者が増えてくれば、何らかの集会施設
(会堂とか集会所と呼ばれる)が必要になります。正確に調べたことは
ありませんが、集会施設は、おそらく1950年代後半以降まず、レンタル
などの形で始まるか、敗戦国であったため、ポンドやドルに対して、
非常に安かったこともあり、海外からの援助(献金)で建設された教会
(キリスト集会)が出現し始めます。関西にあるK集会(Nバイブル・ハ
ウス)も海外献金による資金援助を受けながら建設されたようです。
関西にある神戸集会(神戸キリスト伝道所)はカナダのヘイさんを通
じてのカナダからの支援(データソースは、石浜義則著 私の歩んだ道
イエスキリスト)ですし、関西にあるA集会も最近まで、カナダのヘイ
さんの名義になっていたと聞きました。そういう意味で、戦後建てら
れた多くの教会の建築にあたっては、海外のブラザレンの関係する教会
(キリスト集会、福音館、聖書館など)からの資金援助を受ける形
での建設がみられます。
北海道にある小樽キリスト福音館のサイトでは、ニュージーランド
からの献金に援助される形で建築が進められたことが記されています。
その面で、1970年代までの多くのキリスト集会が海外からの支援によ
って成立していたわけです。
ここで、疑問に思われる方がおられるかもしれませんが、信徒の人
数が増えて来たら、どうしていたのか。多くの人数が集まれば、一杯
になって入れないではないか、という疑問があるかもしれません。こ
の問いへの答えは単純です。株分け、と称する家庭集会を別に開催し、
そこを起点に伝道し、キリスト集会が構成できる人数まで伝道する形
をとることが多いようです。つまり、15人を超えてきて、家庭で集ま
ることが難しくなれば、家庭集会を別に開いて、アメーバーが分裂す
るように分裂していくのです。一種のゲリラ的伝道方法といえるでし
ょう。これには、教職者がいらないというブラザレン運動に見られる
独特の教会運営のスタイルが非常に大きく貢献します。
教職者がいなくても、聖餐式が開けるわけですし、聖餐式をするの
に神学教育を受けた牧師の必要がなければ、簡単に聖餐式が開けてし
まいます。そこで、福音や学びを語る役割をする男性信徒が不足して
いれば、そのグループの母体となった教会(キリスト集会)から男性
信徒が交代などで派遣されて、支援することになります。Neil
Dicksonの著書にも、そのような発展史が書かれています。
この家庭集会を中心として、母体となったキリスト集会から、無償
で人的派遣をする形での支援形態を墨守しているのが、東京都西部の
郊外部にある某キリスト集会のようです。
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