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戦後すぐの状態に関する部分の日本語訳(私訳)を載せます。
戦争中については、UgoUgoコメント王子から少し厳しいコメン
トを頂きましたが、私のヒアリングした範囲の情報だけ、コメ
ントとして残しておきます。
戦争中の各信者の行動については、当事者ではありえなかった
戦後生まれの私からコメントし、必要以上に関係者の方々を傷
つけるつもりはありません。生き延びることにすべての方が必
死だった時代だからです。私は、その時代だったら、弱腰にな
っていたと思います。
ただ、「雲のごとく」をかなり細かく解析すると、さまざま
な立場の信者の方がおられたことが分かります。
「雲のごとく」の中には、書かれていませんが、栃木県鹿沼
市では、灯火管制の中、家庭集会がもたれていた、というお話
を間接的に聞いて、ヒューイットさんの伝記の中に出てくる、
ある女性信徒の名前の意味が、違って見えてきたことがある個人
的な経験だけは、期しておきたいと思います。
戦争期の問題は、ロバート・P ・エリクセン著
古賀敬太・木部尚志・久保田浩 訳
『第三帝国と宗教 ヒトラーを支持した神学者たち』が参考に
なります。ボンフェッファーを生んだドイツで、ナチズムに
加担していった、積極的に加担したドイツ人キリスト者の軌跡と
その問題を追った書籍です。書評が、
http://seikouudoku-no-hibi.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-465a.html
http://voicealone.at.webry.info/200908/article_4.html
にあります。
この時代にご関心がある方には、ぜひ一読をお勧めします。
私は、中古本をアマゾンで手に入れました。古賀さん、ご
めんなさい。新刊本で買わなくて。
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1948年
T.ヘイ氏とR.ライト氏日本に戻る
宣教師の到着
ライト夫人(アイルランド)
R.カイル嬢(アイルランド)
J.マカリスタ氏(アイルランド)
バッド夫妻(カナダ)
ファン夫妻(オーストラリア)
既存集会 3(東京・神戸・大阪)
新規集会 3
東京の集会3集会に広がる(大京町・府中・
小杉(自由が丘の前身))
大京町の集会所建設
大阪と神戸の集会再開
石濱医師、小倉集会(現城野集会)を始める
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主イエスキリストの福音を聞く最大の機会は、戦争の敗北を持って、おそらく到来したと
思われる。
ヘイ氏とライト氏とその夫人がこの年の早い段階で戻って来られ、これが、
東京に定住し、東京の学校で語学取得をする非常に多くの宣教師の最初の到来の先導となった。
日本人の男性信徒が、東京と大阪で集会を持っていた。そののち、東京で、3つの独立集会
(筆者注:コンネクシアル(閉鎖型)ブラザレンの対義語としてのインディペンデント
(開放型)ブラザレンが意図されている可能性があります)となった。戦争中集会の建物は、
完全に破壊されたが、(筆者注:戦後)最初の新しく建設された集会所は、東京の大京町集
会である。
石濱医師が(筆者注:治安維持法違反事案の効力停止により)出獄してからしばらく日本
の南部の島である九州の小倉で働いた。何人かが救われるのを見、神戸に戻る前に九州で
集会が形成された。
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1948
MR. T.HAY & MR. R WRIGHT RETURN
MISSONARY ARRIVALS
MRS. R. WRIGHT (Ireland)
MISS R. KYLE
MR. J.McALISTER
MR & MRS BUDD (Canada)
MR & MRS WHAN (Australia)
EXISTING ASSEMBLIES 3
NEW ASSEMBLIES 3
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TOTAL 6
TOKYO EXPANDS TO
3 ASSEMBLIES(DAIKYO,
KOSUGI & FUCHU)
HALL BUILT AT DAIKYO
ASSEMBLIES REOPENED IN
OSAKA & KOBE
DR. ISHIHAMA BEGAN
ASSEMBLYIES AT KOKURA 1947
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With the war defeat came perhaps Japan's greatest opportunity to hear the
gospel of the Lord Jesus Christ.
Mr. Hay and Mr. Wright, with his wife, returned early in this year, to be
followed by the first of a large batch of new missionaries who settled into the
language study at a school in Tokyo.
Japanese brethren were already meeting in Tokyo and Osaka, Soon there
was expansion to three independent assemblies in Tokyo area. There had
been complete destruction of hall property during the war, and the first of the
new halls built was by the Daikyo Machi assembly, Tokyo.
When Dr. Ishihama was released from prison he worked for a while in Kokura
on Kyushu, the southern island, and saw a number saved and an assembly
formed before he returned to Kobe.
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