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Bassの本 Backgrounds to Dispensationalism から
紹介していきたいとおもいます。ディスペンセーション仮
説の一つの特徴は、ユダヤ人社会とキリスト教の社会の
明確な区別です。
艱難前説に立つ人々は、キリストが実際に地上で支配
する王国があるものだという立場に立ってきました。
ディスペンセーション説では、将来の王国は、ユダヤ人
の王国(ダビデの王国)の再興であり、それはキリストに
よってユダヤ人に与えられたものであるけれども、ユダヤ
人が拒否したために、その王国の上に教会があるという立
場がとられるようです。
その結果、ユダヤ人の王国と教会の間に際立った対比関
係を置くと同時に、教会とユダヤ人に語られる福音に対比
関係を置くことになります。具体的には、イエスの語った
福音は、王国(神の国)に関するもので、恵の福音は、
パウロに対して明らかにされるまで教会では語られること
がなかったとされるようです。また、ディスペンセーショ
ン説では、神の国と天の国が違うものとしてとらえます。
神の国は、人の心の中にある神の永遠の支配のことであり、
天の国は、神の地上における支配のことだ、とされていま
す。また、律法と恵と救いの基礎に関する違いも対立的に
捉えられます。
(個人的には、この様な神の国と天の国を区別したり、
ユダヤ人と教会、律法と恵を対立的にとらえる考え方に
は、疑問を覚えるので、そのあたりが、私がディスペン
セーション説に否定的な理由かもしれません。)
Harry A. Ironsideは、この考えに立っているようです。
この考え方は、Ironside(1940),The Lamp of Prophecy
の40ページにこれにかかわる文章を見ることができます。
もう一つの特徴は、時代区分のシャープさです。この
明白な時代区分のあり方は、ディスペンセーション説の
大きな特徴なのですが、キリスト者の信仰の伝統のなか、
過去の信仰者の考えの中にはないもので、この説以前の
前千年王国主義の中にも見られないものだ、とBassは
その著書の中で主張しています。
たぶん、このようにシャープに区切っていこうとした背
景には、啓蒙時代というか、産業革命時代を経て近代社
会に向かっていく中で、わかりやすさというのか、理論
の切れが、理性の時代の中で、求められたのだろうと思
います。その意味で、この考え方も、時代の子という雰
囲気を免れないように思います。言い方は悪いですが、
学習参考書的なわかりやすさ、インパクトの強さが求め
られた結果の仮説だと思います。
そもそも、聖書って、そんなにわかりやすいものでは
ないし、そこが聖書の味だと思うのですけれども。
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