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文字通りの解釈の結果生まれてくる解釈について、
Bassの24ページ以下には次のような記述があります。
文字通りの厳密な聖書解釈の結果、アブラハムへの
約束がイスラエルの建国という形で与えられ、イス
ラエルに対する約束が文字通り実現すると同時に、
未来で実現するキリストの地上での支配は、イスラ
エルに対する約束の実現というために起こるもので
あり、現在のキリストの教会との関係とは明白に異
なるものであるという聖書解釈となります。つまり、
イスラエルという国家との約束との関係で神を捉え
る一方で、教会との関係でキリストとの関係を捉え
ることとなるため(イスラエル⇔神:教会⇔キリスト
という対比関係で分離的、対比させて捉えるため)
に、イスラエルとキリスト教会が完全に別物として
理解されることになります。この教会とイスラエル
との分離傾向は、教会とイスラエルで神との関係が
異なるという理解に至ることになりかねません。こ
のような考え方は、この概念が登場するまでにみら
れなかったものであり、ダービーもこの考え方は新
しい真理として捉えていたのでした。
と表現されています。
今日の日本の教会で、ここまで極端に教会とイス
ラエルとの関係を分離して考える人は少ないでしょ
うが、この概念が生み出された19世紀には、イスラ
エル建国運動がその当時パレスティナを支配してい
たイギリスでも話題とされていたという歴史的背景
が影響しているものと思います。その意味で、イス
ラエル国家建国はアブラハムへの約束の実現という
側面があり、その意味で、深い関心事になっていた
可能性があります。
伝統的に、イスラエルへの関心ということが薄か
った背景には、そもそも、聖書研究が進められてき
たローマ・中世・近世を通して、イスラエル建国が現
実味を帯びていなかったという歴史的現実があり、
たまたま、それが時代背景的に国民国家の建設と
国際政治のパワーバランスの中、イスラエル再建が
現実味を帯びてくる中で、イスラエル建国の実現は、
キリスト再臨の前後に発生することであると想定さ
れるだけに、イスラエルの建国とイエスの2度目の
地上での登場(いわゆる再臨)への期待と、それに
伴う危機感があり、この種の議論がまき起こった可
能性があります。
イスラエルが建国してある程度安定し、現実国
家として存在するがゆえに、この歴史観に火がつ
いたのが1970年代、であるとすれば、このイスラ
エル建国が、キリスト再臨が近いことの象徴とし
て理解され、折からのオイルショックともあいま
って、特殊な形の預言研究への関心の高まり、と
いうことにつながっていったのだと思います。
個人的には、預言の歴史的実現には、重層性
があり、単一の預言が複数のイベントに対する
成就として理解されうることからも、イスラエ
ルに対する預言、教会に対する預言という形で、
2分割して対立的にとらえることはまずいかもし
れない、と思っています。基本的に、明確に表
現されていないことにたいして、何らかの解釈
を加えるところまでは、よしとすべきでしょう
が、それをもとに特定のことが事実であると主
張することは控えたいなぁ、と思っています。
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