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以下は、今月の所属キリスト教会(キリスト集会)の月報に載せた
書評です。久々のナウエンの本を登場させました。
両手を開いて
アンリ J.M. ヌーエン著 高野実代 訳 サンパウロ ¥1200.-
この本は、この欄でも、何回か紹介してきたヘンリー・J.M.ナウエン
(アンリJ.M.ヌーエンはフランス語で彼の名前を読んだ時の呼び方です)
が祈りについて述べた本です。祈りのさまざまな側面について、具体的
な状況を想定しながら、クリスチャンとして祈るということはどういう
ことか、祈りの意味とは何か、日常生活で誰しもが経験するさまざまな
状況について、祈りを通して自分の心のうちを探り、神との関係を深め
る内容に満ちています。祈りについて、ナウエンらしい、彼独自の視点
からの非常に深い洞察を分かりやすいことばで書き記した本です。他の
本もそうなのですが、ナウエンのほとんどの本は非常に平易なことばで
書かれていますが、非常に洞察力に富む内容が書き記されています。こ
の本も、その代表例のような本です。
いくつか、印象的な彼の記述を抜き出してご紹介したいと思います。
---------以下 引用文 --------------------------
祈るように言われる時、あなたはしっかり握ったこぶしを開き最後の
コインを引き渡すように求められる。しかし誰がそうしたいと思うだろ
うか。手放したくないことが分かるので、そのため最初の祈りはしばし
ば痛みを伴った祈りとなる。(P14)
ほとんど信仰のない祈りは、ある安全を勝ち取るために、私たちを
現在の具体的な状況にしがみつかせる。その祈りは直ちにかなえられ
ることを懇願する望みで満ちている。(P72)
キリストは、最も意味深いやり方で、祈りは神の力にあずかること
だということを明らかにしたおん者(おん方、とした方が一般的でし
ょう)である。この力を通してキリストは世界を一変させた。数え切
れぬほどの男女を彼らの存在の鎖(現実に存在する鎖、の方が分かり
やすいと思います)から解き放った。(p135)
祈るとは神の前に両手を開くことを意味する。それは手を握り締め
る緊張をゆっくりと緩めること、そして、あなたの存在を守るべき所
有物としてではなく、受け取るべき贈り物としてこころよく受け入れ
るようになることを意味している。何よりも、祈りは、神の約束に対
して手を開いて、あなた自身、隣人、そして世界への希望を見つける
この世のまっただなかで静けさを見出させる一つの生き方である。
(p144)
--------------------以上 引用終わり---------------------
このような魅力的なことばが、あちこちにちりばめられた美しい本
です。翻訳がこなれてないかな、と思うところも時々ありますが、日
常生活の祈りについて考える際のヒントになることと思います。祈り
の生活を深められたい方に、是非、ご一読をお勧めします。
ということが、今回の書評でしたが、引用部分がちっと多くなり
過ぎたかなぁ、と思います。とはいえ、ナウエンの本の内容のユニー
クさは書き換えでは伝わらないところがあるので、引用の方が伝わっ
たのかと思います。ナウエンの本を読むたび思うのですが、この深さ
をもった分かりやすい聖書の入門や、信仰というものについての解説
を誰か書いてくれないかなぁ、と思います。ナウエンもそれを目指し
て、『愛されているものの生活』という本を書きましたが、結局どう
みても信者向けの本になっていましたし。あの本はあの本で、面白か
ったのですが。
さて、来月、どんな本をとりあげようかなぁ。
しかし、今回の月報の発行は綱渡り。礼拝直後の諸連絡の時間には
完成させないといけない(礼拝で帰宅する人がでてくる可能性がある
ので)にもかかわらず、ぎりぎりの10時15分まで、若い人たちが自分
達の文章の作成作業をしているし、誰かが、プリンターをリストから
削除してしまっていたので、礼拝の賛美の時間なんかを使いながら、
ドライバーを再インストールしたりと、礼拝に今日は集中して参加で
きなかった。かなり残念。
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