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今回は前回に引き続き、小渕さんのテキストを使いながら、
信者間の成長と教会での行動について私が考えていることに
ついて、お話して見たいと思います。
(引用元 小渕春夫(2009)
牧師と信徒、相互の霊的成長を求めて,
牧会ジャーナル 2009年夏号 7ページ)
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教会を続けられた理由
私が初期に集った教会は、日本でも独特な雰囲気の厳格な
教会かも知れない。教会の長老からは、私の行動、発言を常
に見張られているように感じた。例えば、教会内では女性に
気軽に話しかけてはいけない習慣があった。しかし、それを
私に教えてくれる人は誰もいなかった。同年代の男性がほと
んどいなかった中でのことである。その教会の指導者夫妻は、
大変尊敬されており、人格的にもすばらしかったが、彼らの
発言・行動はいつの間にかその教会の不文律の行動規範にな
っていた。彼らの生活は伝道中心で、いつも急を要すること
に対応しており、落ち着く暇がないように見えた。信徒をき
め細かく牧会しようということに、あまり使命は感じていな
かった。改善や変更を提案しても『教会批判』と受け止めら
れるリスクがあった。そこでは、慣例に従うことが最善とさ
れていた。
「私に会わない、別な教会に移りたい」という私のわがま
まを何度もなだめ、引き止めてくれたのは、私を良く知り、
聖書の学びを導いてくれた、教会外の独身の宣教師であった。
(以上引用終り)
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「長老からは、私の行動、発言を常に見張られているよう
に感じた」うーん。これは、もともといた関西のキリスト
集会で感じていたように思います。はねっかえりの自由な
発言ができないという意味では、そうだったと思います。
他の信者の方がたの目、というよりは私の場合、母親の目
だったですが。「後で、なんか言われたらやだなぁ」とい
う感覚があったことは強烈に覚えています。まぁ、高校生
だったんで、仮免許信者みたいなものでしたから。自己す
ら確立していないわけですから、しかたなかったとは思い
ます。
ただ、個人的には、信仰の成立に自己の確立はあまり必
要ないと思っています。自己が確立するかまでまち、必要
以上に信仰を持ったと判断する時期を後ろ側に延ばすのは、
どうかなぁ、と思っています。
「その教会の指導者夫妻は、大変尊敬されており、人格
的にもすばらしかったが、彼らの発言・行動はいつの間に
かその教会の不文律の行動規範になっていた。」これは、
痛いことばです。尊敬され、立派であればあるほど、
「その教会の不文律の行動規範」となることは発生しう
るでしょうねぇ。「○○さんがしているから、私も見習わ
ねば。」あるような気がしますねぇ。この辺が進みすぎる
と、カルト化傾向につながるのかもしれません。ちなみに、
キリスト集会の大半は、ちょっと「その教会の不文律の行
動規範」見たいなものが一部あるような雰囲気が漂うとこ
ろもありますが、大半は健全で、カルト化していないので
安心していいと思います。しかし、信者全体で無意識にか
もし出してしまう「その教会の不文律の行動規範」が自由
な行動を制限する危険性があるので、責任者の方々は、こ
のようなことがないよう「その教会の不文律の行動規範」
について絶えざる注意関心を払っておられると思います。
また、同時にそれぞれの信者は、自分自身の中にこのよう
なことがないよう、主体的に注意をしておられると思いま
す。そうであっても、そのような配慮は必要だとは思いま
す。これはキリスト集会に限らず、キリスト教会全体にい
えることとして。
「彼らの生活は伝道中心で、いつも急を要することに
対応しており、落ち着く暇がないように見えた。」
これまた痛いです。キリスト集会の皆さんは、伝道熱心
なので、このように見える教会(キリスト集会)もたくさん
ある様に思います。内実はそうではなくても。熱心な伝道
が、集う人に安心感を与えないとすれば、それが何を意味
するのか、ということを考えざるを得ません。反省しない
といけないなぁ。
「信徒をきめ細かく牧会しようということに、あまり
使命は感じていなかった。」
うーん。これは私自身にいえることですねぇ。伝道はす
るけれども、信仰者を育てようとしない。反省するしかな
いです。そうなんですよねぇ。誰しも、ロボットじゃない
んだから、バプテスマという形で教会にデビューした直後
は、やはり仮免許。本免許となっていただくためには、それ
相応の成長のためのプログラムが必要ですよねぇ。私が、
本免許(未だに仮免中かもしれませんが)に近い状態になる
ために非常に関心を払ってくださったのは、学生時代にお世
話になった北関東のキリスト教会(キリスト集会)の伝道者
の方だったです。その方がなければ、今のような視点を持ち
えたかどうか…。本当に得難いご対応を頂いたと今でも感謝
しています。
「改善や変更を提案しても『教会批判』と受け止められる
リスクがあった。そこでは、慣例に従うことが最善とされて
いた。」
キリスト教会でも、キリスト集会でも、そもそもの実施し
ている事象の目的と目標を忘れられて形式が守られていると
ころでは、そうかもしれません。ルターとカトリックとの関
係は、まさしくこの部分だったかと、思います。
いずれにせよ、改善や変更は、これまでの行動の否定とな
り伝統との戦いともなりかねません。適切な、改善や変更は
重要だと思うのですが。
「アルフ」というタイトルの宇宙人の出てくるアメリカの
シチュエーション・コメディの番組(NHK教育テレビで放送中)
がありますが、それのなかで、宇宙人のアルフが、伝統とお皿
はおんなじだ、といっています。なぜなら、両方とも壊される
ためにあるからだそうです。
伝統は壊されるため、変更されるためにあるということを忘
れてはならないのではないかと思うのです。
続きます。
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