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今日も、小渕さんの文章を用いながら、キリスト教会
(キリスト集会)での信者の成長とスモール・グループ
ということを考えて見たいと思います。また、スモール・
グループこそ、キリスト集会の出発点にあったものだと
思います。その原点を忘れないためにも。
(引用元 小渕春夫(2009)牧師と信徒、相互の霊的成長
を求めて,牧会ジャーナル 2009年夏号 10ページ)
私たちが霊的に成長するためには、年代や生活背景、信
仰歴に応じたグループを教会内で形成し、相互牧会するこ
とが理想であると思われる。しかし一教会の原状では無理
があり、さらに遠距離から会堂に通う人もいるとすると、
集いやすい場所はどこだろうか。その解決のために何がで
きるだろうか。その一つの手段は、教派色を持たない超教
派の主催するスモール・グループや学びの機会を、積極的
に活用することではないだろうか。いや、すでに自らのた
めに参加している人は少なくない。
(引用終り)
実は、ブラザレンと呼ばれるキリスト教会(キリスト集
会)の始まりは、一種のスモール・グループ運動だといっ
ても間違いないと思います。そのあたりのことは、
http://blogs.yahoo.co.jp/kawamukaih/29718855.html
http://blogs.yahoo.co.jp/kawamukaih/844356.html
でもちょっと書いたりしていますが、もともとは、牧師さん
たちが独自の聖書研究会で聖書に戻って考えるということか
ら、一番集りやすいところは、ということで始めたCrownin
クローニンたちのグループがあります。これが始まりだとは
断言しにくいのですが、キリスト集会の出発点に、スモール・
グループ的な要素はかなりあります。全員が30代から20代後
半の今でいえば、ニュー・ジェネレーションというんでしょ
うかねぇ。改革の力も持ちつつも、バランスを意識し始めた
行動を取り始める人たちの集まりだったんですが、さすがに
運動が始まってから150年もたつと、長老派やクェーカーなど
の教会政治体制的な影響などもあり、長老の影響力もかなり
強くなり、超教派的なスモールグループとはいいがたいもの
になっているのが現状のキリスト集会だと思います。ただし、
もともとは、超教派的なスモール・グループを志向して、キ
リスト集会はイギリスで始まったんですが。
日本では、ブラザレン運動が最初に到達した明治末期から
大正初期にかけての社会構造自体、年功序列主義というのか
儒教的な年長者優先主義が社会モデルとして存在し、内村鑑
三も優れたキリスト者ではあったものの、その思想への儒教
的思想の影響はぬぐいがたいものがあるのとおなじように、
いつの間にか信者としての水平的な連結というのか、水平的
な関係性の尊重というのか、年齢を超えたフランクな付き合
いができないキリスト集会(年長者の方には気づき難いと思
います。自分も40を過ぎたので、なんとなく感性が鈍ったと
感じますが)となっているように思います。
特に、宣教師の側では奉って欲しくないと思っていなくて
も、日本人キリスト者の中に、宣教師を奉ってしまう部分が
なきにしもあらずだったように思います。実際、アメリカに
いっていた時のノリで、宣教師をファーストネームの愛称で
呼ぶのが、習い性になっていたら、ある人からここは日本な
ので、宣教師を呼び捨てにするようなファーストネームで呼
ぶようなあり方には、宣教師の方を軽く見ているようで、私
には耐えられないので、○○兄弟と呼ぶようにしてほしいと
いう(A.進言 B.忠告 C:苦情 最も当てはまるものを御自
由に選んでください。 )を、人を介して間接的に聞かされま
した。実話です。時々忘れたときには、未だにファースト・
ネームで呼んでいる事も時にありますが、極力注意するよう
にしています。
アメリカでShoreline Community Churchにいたときのスモ
ール・グループについては、また改めて書きたいと思います
が、アメリカ文化というのもあるのでしょうが、一番記憶に
残っているのは、個が大事にされ、どんな発言でも慎重に重
視して取り扱われた記憶があります。たどたどしい英語でし
ゃべる私の発言を、まじめに聞いてもらった記憶があります。
聴いてもらえるということは、うれしいことなのです。認め
られるということだなぁ、ということを感じた瞬間でした。
そのときに私の発想は変わったように思います。
あの、Shoreline Community Churchにいたときのスモール
・グループみたいな教会活動をしてみたい。一方的に話すの
ではなくて。難しいんですけどね。日本では、小学校を卒業
すると公式に発言しなく人が多いので。
こんなことをこの文章を読みながら、思いました。
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