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ダービーの教会の理解についての問題について、Bassは
その著書Backgrounds to Dispensationalismという本で、
次のように指摘しています。この指摘は、きわめて重要
だと思います。
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P145 第6章 Evaluation and Implication
The Heavenly Churchの節
ダービーが権威性を確保は、彼の指導の下からはなれるこ
とが、悪であるということを宣言することにより行われた。
ダービーは、一体性(Unity:一つであること、一致)が必ずし
も、同質性(Uniformity:構成員が同一の考えを持つこと、同
一の考えに従うこと)を意味しないということを理解しなかっ
た。
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Bassがこのように書いた背景には、Newtonとの論争のその処理
過程の中で、ダービー以外の理解が間違っている、あるいは悪であ
ると宣言していったことがあるのだろうと思います。このNewtonとの
論争とその後の処理の中で、絶縁宣言をニュートンとニュートンの考
えを否定しない他のグループに対して行うことでその権威性を確保し
ていったのではないか、ということをBassは意図していると思います。
ダービーの意図が対立構造を作り出すことにあったのかどうか、彼が
権威性を確保する目的で、絶縁宣言を出したり、対立構造を作り出し
た、ということではないとは思うのですが、実態としては、ダービー
の考えに同調しない他のキリスト集会に対して、絶縁宣言を出すとい
うこの行動が、ダービー派を形成した契機になったという意味だと
おもいます。実態についての、一つの理解としては、適切といえようか
と思います。この絶縁宣言は、ダービー派のグループの中で、もし、彼
に従わなければ、次はわが身、という恐怖が生まれ、その恐怖に裏打ち
される形で権威性が高まったという実態はあったのではないかという想
定は、人間の心理として理解できます。ダービー本人が恐怖を生み出し
たり、権威性を確保しようとした、といった意図はなかったものと思い
ますけれども。
この一つでなければならない(OnenessやUnity)ということに関
しては、その根拠がエペソ4章にあるだけに、注意が必要と思い
ます。日本語の概念だけで、一致を語ると、まずいことを起こすよ
うに思います。私も、ご多分にもれず、以前はダービーと同じよ
うな概念で生きていました。というのは、やはり、産業革命を経て、
自由民権思想、平等思想が生まれ、その中での平等主義ということ、
特に日本社会固有の同化圧力のもと、このOnenessやUnityの考え方
を誤解して私も聖書を読んでいたように思います。ダービーは、ど
こかでその主張が誤解され(分かりにくい表現の結果)、そもそもの
出発点で実現できればと思っていたOnenessやUnityを目指した教会
あるいは集会という結果としての一致が、教会形成の目的となって
しまったように思います。目的と結果の混乱が悲劇を招く例だと思
います。時々、教会成長ということを聞きますが、これも、時に結
果と目的が混乱しているのではないか、とひとごとながら思います。
結果としての教会成長(人数や信者一人ひとりの個人の霊性の成長)
が、目的として語られると混乱がおきやすいように思います。
私の以前の信者が同一の方向性を持たねばならないといったよう
なちょっと変わった一致に関する理解の問題を最初に理解するの
に有効だったのが、ロイドジョンズの「キリスト者の一致」(上下)
(現在版元在庫切れ中)でした。この本は、キリスト者の一致と
多様性の問題を考えるようになり、その中で神の国を考えていく
ようになりました。その中で、以前持っていたUnityの考え方の問
題に突き当たり、それがある意味で、このようなブログでのブラザ
レン運動への再検証へとつながっている様に思います。
極端な一致として、同質性に偏った強調を置く人は現在の日本の
キリスト集会の関係者の方では少ないと思います。ただ、この運動
がそもそも、広範囲のキリスト者の一致や、一体であることの重要
性を求めて生まれたものの、この運動の出発点で一体とか、一致と
はどのようなものであるのかが十分整理されていなかったため、あ
るいは整理して理解していた人たちがいなくなっていく(大半は、
亡くなられていく)中で、ある特定の考え方であるダービーの文章や
その影響を受けた人々の文章が残ったために、偏った考え方が、
その後のこの運動の指導者たち残っていったように思います。
この運動が、そもそも学問的になりすぎたり、一般の聖書理解と遊離
した教会の姿や、当時の主流派であった聖書の権威性に挑戦した自由
主義神学への否定的視点を持っていたこともあり、神学全体への否定
的な視線をもってしまった結果、この運動での聖書理解についての偏
りや、過去の聖書理解の遺産への軽視、と歴史観の少なさがさまざ
まな形で今なおこの運動だけでなく、この運動に影響を受けた様々な
グループに影響していることを考えると、歴史に学ぶことの大切さを
思います。
なお、Bassの本は、1960年代の本であり、私が利用しているのは、
2005年のリプリント版です。今になって裏カバーをみていると、こ
の方は、大阪聖書学院でVisiting Professorもしておられるようで
す。このあたりのことを考えると、Nozzonさんのコメントにあった、
ある方がこの問題を取り上げる中で、取り上げられたBassの本とは、
多分この本のことだろうと思います。
一旦ここで、区切りをつけて、別の話題に進んで生きたいと思い
ます。クリスチャン・シオニズムとダービーとの関連は、For Zion's
Sakeなどという本もあるのですが、これは内容が重たい本なので、
本がある、というご紹介だけにと思います。ただ、この本 For Zion's
Sakeによると、クリスチャン・シオニズムについての大きな影響を
与えた一人が、ダービーだったようです。
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