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たましいとはなにか、ということについて、まとまった学びを あまり聞いたことはありません。ある方は、以前、学びの中で たましいとは、霊の入れ物だ、ということをおっしゃったような 記憶があります。おそらく、聖霊の宮、というメタファーから の展開だと思います。 ただ、個人的には、たましいとは、その人の人格というのか、 精神性というのか、その人をその人たらしめているもので、個人 個人によって異なるものという考え方をしています。聖書的な 明白な根拠があるわけではないのですが。ここはもう、想像の 域です。霊が風(ギリシア語でも、へブル語でも、霊には、息、 または風、という意味がある)だとすると、それを受けてその 人を動かす帆船の帆のようなもので、帆船の帆には、その船独 自のデザインがしてあって、その人とほかの人を識別可能に するものではないかと思います。 これは、個人的感想なので、すべてのブラザレン運動者の 間で合意された理解ではありません。ブラザレン運動自体、 勝手連みたいなところがあるので、統一した見解といった ものが組織的に決定される、ということはないので、統一 的に共感されている理解、というのはほとんど少ないんですね。 最近では、基礎的な聖書理解のコース(アルファコースみたい なもの)をバプテスマ前に受講を勧めている集会もありますが、 とりあえず、日曜日のお話を何度か聞いて、少し話し合いをして 信じた、といったバプテスマ候補者に信仰の内容自体の問答が あり、それで聖書理解と信仰が適切だと判断されて、バプテス マというケースもあるようです。 |
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2010年04月19日
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