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ブラザレン運動に関係しておられる方では、日常生活でも 聖霊の働き、ということをかなり重要視され、さまざまな 場面で、聖霊の導きがあったとか、なかったとか、という 言い方がされることがあります。聖霊の導きがなかった という言い方の別の言い方として、平安がなかった、と いう言い方をされるかたもありますし、聖霊の導きがあっ たということの別の表現として、平安があった、という 言い方をする場合もあります。 たとえば、就職とか、結婚とか、家とか車を買うとき などにも、このような表現をされる方も時に見られます。 全員が全員というわけではありません。かなり、個人の とらえ方が違うところはあるように思います。 そういう意味では、聖霊の働きについては、かなり穏健 な立場に立っているといえます。 ただ、日曜日の礼拝(聖餐式)とかでは、導かれた方が 祈る、と想定されている教会(集会)もありますし、日曜 日や平日に開かれる聖書研究会や伝道集会と呼ばれる聖書 を開いてお話しする機会でも、導かれた兄弟によって語ら れる、とされている教会(集会)が多いようです。 語られる言語は、基本的にその人の母語、またはその 教会の共通語であり、異言で語られる、ということはあ りません。その意味でも穏健な立場だと言ってよいと 思います。だからと言って、聖霊とその働きを軽視して いるわけではなく、それは尊重しつつも人間の関与も 認めているということだと思います。 |
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2010年04月23日
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