ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]


Tim GrassのGathering in His Nameの中pp. 152から、

定期刊行物について述べた部分から、ご紹介しなが

ら、考えてみたいと思います。

------------------------------------------------------
最初の、オープンブラザレン派の信徒向けに出版さ

れた定期刊行物は、The Golden Lamp(1870-90)であ

り、その編集者は主にWilliam Yappであり、後にHenry

Groves(1818-91)が担当した。しかし、これらは、ニュ

ースや広告を含まないものであった。他の二つのオー

プン・ブラザレン派の雑誌The Latter Rain(1866-75)と

Foot Steps of Truths(1883-1905)がHurditchによって

編集され、出版された。Hurditchが他派に対して、非常

に開放的な立場をとっていたため、これらの雑誌はブラ

ザレン運動関係者の特殊性が明確に表れたものでは

なかった。もっとも長期間発行された雑誌は、Ayrshireの

MayboleのWilliam Shawによって発行されたBeliever's

Pathway (1880-1949)で当初は、デボーションの目的で

発行されたが、キリスト者の奉仕者のための雑誌となっ

た。おそらく最も広告やニュースを流すために用いられ

た英国内の雑誌は、ロンドンで発行されていたThe

Eleventh Hour(1886-95)である。スコットランドの雑誌

と同様、個人によってはじめられたものであるが、スコ

ットランドの雑誌と違うのは、刊行を始めた個人が編集

上の責任を問われたことによってであった。

------------------------------------------------------

こういう雑誌の変遷を見ていると、非常に多くの雑誌が

出版されたことが分かります。特にHurditchが出版して

いた雑誌に見られるように、このグループはもともと他

のキリスト者グループに対してオープンな姿勢を持って

いたにもかかわらず、エクスクルーシブ・ブラザレン派の

分離により、エクスクルーシブ・ブラザレン派との交流を

望まなかったとはいうものの、分離主義的な性質が深

まって行き、それがいまだに日本で後を引いているとい

うことを考えると、この分離が歴史的に大きな分岐点で

あったことを思わざるをえませんが、Hurditchのような

非常にオープンな精神を持った人物忘れてはならない

のかもしれません。

歴史を振り返ってみて、自分たちの出発点や、本来

持っていった特性を知ること、ということは存外重要な

のかもしれません。近視眼的にならないためにも。

全1ページ

[1]


.
kaw*muk*ih
kaw*muk*ih
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30

過去の記事一覧

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事