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聖霊論について、これまである程度のことを簡単に 触れてきましたが、伝統的なキリスト教会の聖霊論と それほど大きな違いがあるわけではありません。 ただ、聖霊が神であることから、聖霊の導きがあった という言葉が使われた時、その場の議論が止まってし まう傾向にあります。 個人的には、間人格的に聖霊は働くものであり、 ある人に対しての聖霊の導きと別の人に対しての 聖霊の導きが大きく異なる、ということは極めて例 外的ではないか、と思います。 また、個別具体的なことに対して、聖霊の導きを 言及させるのはどうかなぁ、と思います。神は、自 由を与えられたのですし、聖霊が関与されるのは、 方向性といった大方針ではないか、と思います。 議論を強制的に終了させるための「聖霊の働き」を もちだすことや、「みこころ」という表現を持ち出 すことはいかがかなぁ、と思います。「神のみここ ろ」なのか、「個人の希望としてのおこころ」なのか はよく考えないといけないのでは、と思います。 一番、極端な例をご紹介したいと思います。 ある未婚の若い男性信徒が、未婚の若い女性信徒 に『あなたと結婚するよう、聖霊によって示されまし た』とプロポーズした、という話がありました。 若い女性信徒は、この結婚の申し出を丁重にお断り したそうですが、こういう逃げ道が少ないアプロー チというのは、ちょっと危険なものを感じます。 結婚ということでいえば、逆の事例として、 長老から若い信者に結婚話が持ち込まれること があります。このような場合、若い信者にとって、 集会の責任者から持ち込まれた結婚話は責任者たち への聖霊の導きの結果だと思いこみやすいので、 断りにくいという側面もないわけではありませんが、 必ずしも、そうではないように思うので、慎重に 考えて進めるのがよいと、個人的に思います。 もちろん、結婚だけでなく、どのような人生を歩 むかということは真剣に考える中での神との関係を 考えていくことは大切ですが、何でも聖霊の働きや 示しを求めていくことは、時に危険なものを含むと 私は思っております。
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