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Tim GrassのGathering to His Nameの中p.175からブラザレン文化に
関する部分、The Emergence of Settled Patterns of Assembly Life
and Worship(集会生活と礼拝のパターンの成立)の中のA Typical
Sunday(典型的な日曜日)についての記載を紹介しながら、考えてみ
たいと思います。
--------------------------------------------------------- 聖餐式への参加は、特権であると同時に信者の責任でもあり、よく
知らない個人や私的なグループによって見られてはならないものであ
り、これは、大会でも同様であった。神学的には、主要なモティーフは、
『記念(remembrance)』(聖餐式の別称として、この語が用いられること
もある)であり、様式においては、礼拝(worship)または黙想であった。
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聖餐式が特権だというのはある程度わかる気がします。しかし、特権
であるからといって、あまりに特別視しすぎるのは、一種の偶像礼拝(?)
に近いものを感じます。特にここで書かれているように、よく知らない個人
だから見てはいけないとか、その場にいてはいけないとか、という論理は
どこかまずいのではないかなぁ、と思います。
聖餐式では、イエスの死と復活を記念するというのは、基本的にそうな
のですが、なぜ、それがほかの人に見られてはいけないのか、という聖
書的な根拠はないようにおもうのですが。教会(集会)以外の人を参加さ
せないというようなことは、イエス自身のところに子供がイエスのもとにい
こうとした時、それを妨げようとした弟子たちに、イエスが、「これらのもの
を私のところに来させなさい」といった姿勢とは、ずいぶん違うように思うん
ですけれども、それは私の思いこみすぎかもしれませんねぇ。
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2011年05月23日
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