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Tim GrassのGathering to His Nameの中p.176からブラザレン文化に 関する部分、The Emergence of Settled Patterns of Assembly Life and Worship(集会生活と礼拝のパターンの成立)の中のA Typical Sunday(典型的な日曜日)についての記載を紹介しながら、考えてみ たいと思います。 --------------------------------------------------------- 礼拝(Worship)と牧会上の支援(Ministry:学びと訳す方が正確かも)の 区別は、ブラザレンの集会生活の考え方の中で中心的なものである。礼 拝は、神に向けられたもので、聖霊の導きによる実としてみられるもので あった。その結果、準備することは不適切であると考えられた。学び (Ministry)は、人に対したもので(とはいえ、本当にそうかどうかの議論は 続いていたが)、準備の結果のみであると一般に考えらていた。 --------------------------------------------------------- 礼拝は、聖霊の導きが現れる場所ですが、では、聖霊のみによるのでは ないんじゃないかなぁ、とおもいます。というのは、パウロは、霊において も祈り、知性においても祈る、といっているので、そのあたりも考えると、 単純に霊的なもの、ともいいにくいのかなぁ、と思います。 ある教会(集会)で、お聞きしたお話では、学びも神が語らせてくださる 霊的な実であるので、準備する必要がないのでは、というお話をお伺い したことがあります。それはそれで、お考えとしては、そういう見方も あるかなぁ、とも思うのですが、そうなってくると、体系的なことを理解する 機会が十分ではなくなるように思います。これは、Tim Grassが指摘するよ うに、ブラザレン派の聖書の言葉の一語一語に着目して読み込んでいく聖 書の読み方とどうも深い関係にあるように思うのです。その結果、聖書の学 びも非常に短いものとなりやすく、ほかの箇所との関連などが薄くなってし まうケースも少なくなかったのではないか、と想像します。 |
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