ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

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Facebookにのっていた、集会の問題点を指摘した北米の集会の姉妹からその集会で学んだ人に対する手紙の本文の続きです。

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1. Love forChrist.

2. Accepting HisLordship.

3. ObeyingHeadship.

4. Wearing thehead covering.


Instead, we haveit backwards.

1. Wear the hator leave.

2. Oh, by theway, it symbolizes Headship.

3. Oh and that’spart of Lordship.

4. Love forChrist? Oh, nobody mentioned that. Is that even important?


The Lord understood the necessary motive forobedience, so why don't we? Obedience is not the end all be all that wekeep hearing pounded from our pulpits, it is LOVE for Christ DEMONSTRATEDby obedience that is the important thing. I could obey headship and wearhats till the cows came home, but if within my heart there is no love forChrist in doing it, what profit is there in it? We just simply don't get it, dowe? Young people need CHRIST, they don’t need a bunch of rules. And thesewomen who no longer practice head covering, obviously never were foundedin the motive and truth behind it. They saw it as nothing more than arule observed by the assemblies. This is likely the simple answer to yourquestion.

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Facebook上で、非常に面白い文書を見つけ、日本語に翻訳 or 和訳 or 日本語変換したいと思い、試しに日本語で読めるようにしました。かなり雑な翻訳の続編です。今日は、第6章です。前回から手紙の本文の続きです。内容としては、かなり厳しい表現となっていますが、ある面の事実を示していると思います。

なお、次の記事で、英文も載せておきます。【】で囲った部分は、変換者の意見・コメント・注釈です。

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キリストへの愛 → キリストが神であることを受け入れる → キリストがかしらであることを認める → 被り物をかぶる

 
その代わり、我々は順序が逆になっています。

被り物をかぶるか、集会を去る → あぁ、そういえば、被り物は、主が「かしら」だったからですよね。 → そういえば、それはキリストが主であるから、でしたよね。 → キリストへの愛?あぁ、そういえば、だれもそんなことは言わなかったですよね。それってそんなに大事でしたっけ?

 
ヨハネの福音書の中で、主は、『もし、私を愛するなら、私の戒めを守るはずです。【おそらく、ヨハネ1415】』とおっしゃっておられることを思い出すことができるのではないでしょうか。主が、従うことへの必要な動機を理解してくださるのだとしたら、どうして私たちは理解できないのでしょうか。従うことは、我々の信者から繰り返し聞かされているからというそもそもの(end all be all)目的ではなく、キリストへの愛として従っていることを、示することが重要なのではないでしょうか。私は、帽子をかぶることを、牛が家に帰るときまで(慣用句:ものすごい長い間)続けることができるでしょうが、それをすることの中に、キリストの愛がないとすれば、その中から得られることとは、一体何なのでしょかう。私たちは、そのことを理解していないのではないでしょうか。若い人々は、キリストを必要としているのであり、ルールを必要としていないのです。そして、これらの被り物をかぶることをやめた女性たちは、行動の動機とその背後にある真理をきちんと得ていないのです。彼らは、被り物をかぶることを単なる集会の中だけでのルールとみているのです。これがあなたへの質問のご回答になっているのではないでしょうか。【筆者が語りかけた質問とは、なぜ、女性信者たちが帽子やベールといった被り物をやめようとするのか、というのが質問のようです。】

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この文章を読みながら、まぁ、こういう風に言う信者さんは日本では、あんまりいないと思いますが、語り手の側は、聞いている相手が知っているものとして、勝手に前提を置いて話をすることが多いようです。特に学びでは、概して、キリストへの愛は、既知の事実として触れないことが多く、むしろ、キリストの愛を大前提として、その結果として生まれること(例えば、被り物とか、幕屋とか、そのほかのこと)だけを語るところがまずいんでしょうねぇ。まぁ、集会では、それを体系だてて学ぶという習慣がそもそもないので、それが大きな問題を生み出しかねない、ということのようです。


 私自身、振り返ってみても、確かに、学びと称される時間に、非常に基礎的な教理の部分というのか、信仰の土台となる部分について、話すのは、どうかなぁ、と思い、わりと細かな解釈論的なお話しをすることが多いように思いますが、しかし、いろいろなレベルの信者がいるとき、特に若い世代の人たちがいるときに、若い世代の人たちがわかっているつもりになっていることについて、基礎的な聖書理解についての解説を、していくことが重要かもしれませんし、細かな聖書理解を解説するよりも、骨太の聖書理解を、時に振り返りつつ、話していくのが大切かもしれません。最近、信仰とは何か、神の忍耐とは何か、聖書を読むとはどういうことか、聖書とは何か、救いとは何か、ということを改めてまとめながら、聖書から話す努力をしてみていますが、結構、面倒ではあるものの、大事かもしれないと思っております。

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