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Facebookにのっていた、集会の問題点を指摘した北米の集会の姉妹からその集会で学んだ人に対する手紙の本文の続きです。
-------------------------------------------------------------- 7. A NAUSEATING SENSEOF SUPERIORITY My last topic. Iknow quite a few young people who have left the assembly and it was after theyleft that they ended up flourishing in their walk with the Lord.Impossible! We might think so, but it is true. And I also know others who triedcoming to the Hall, but just found it too stifling. (??) gave it an honesteffort, but he just wasn’t flourishing. Now in the church where he goes,he has grown so much and is a thriving Christian who loves the Lord andtries to serve God in every opportunity. When his sister sees that,she gets discouraged, because she feels she is not thriving. We in theassembly have a very over-inflated view of ourselves. We have a misguidedsuperiority complex that we are the only ones on God’s green earth who trulyhave the light and are godly Christians. This is of course false, and there aremany people in other places who put us to shame! Some believers I mostadmire are not in assembly fellowship. |
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Facebook上で、非常に面白い文書を見つけ、日本語に翻訳 or 和訳 or 日本語変換したいと思い、試しに日本語で読めるようにしました。かなり雑な翻訳の続編です。今日は、第6章です。前回から手紙の本文の続きです。内容としては、かなり厳しい表現となっていますが、ある面の事実を示していると思います。 なお、次の記事で、英文も載せておきます。【】で囲った部分は、変換者の意見・コメント・注釈です。 -----------------------------------------------------------------
これが、最後の主眼点になります。私は、集会を去った人々のごく限られた人数しか知りませんが、彼らが主とともに勢いがある生き方をするのは、彼らが集会を離れてからなのでしょうか。そんなことはない、と私たちは思いますが、事実、そうなのです。私たちは、ほかの人たちを集会に招こうとしましたが、それは非常に厳しいことだとわかりました。△△さん【匿名となっている】という方は、一生懸命努力していましたが、彼は実を結んでいませんでした。しかし、彼が行っている教会では、彼は非常に成長し、主を愛する非常に元気のよいクリスチャンであり、どんな機会でも、主に仕えようとしています。彼がそのような姿を見たとき、彼の妹は失望しました。なぜならば、彼女は、彼がそうであるように元気のよい状態ではないからです。私たちは、集会において、私たち自身を過剰評価しているように思います【これは、現代のパリサイ人と呼ばれるゆえんだと思う。自分たちだけが真理を持っている、に近い概念を持っているブラザレン運動関係者は少なくないように思います】。私たちは、「私たちこそが、神の青い地球上において、真実の光を持ち、神に近いクリスチャンだ」というずれた優位性の感覚を持っているのです。これはずれの一つのであり、ほかの多くの人々は、私たちのことを残念に思っているのです。私が尊敬する信者は、集会の交わりの中にいないのです。 -----------------------------------------------------------
しかし、厳しいですね。確かに、ブラザレン運動関係者の中に暗黙の前提として、自分たちの関係のキリスト者集団は優れている、という意識が強い方もおられます。集会の人たちの考え方が、世間からずれているとは、いやはや、厳しい。
この女性信者のいうように尊敬できる信者いない、とは言うつもりはありませんが、確かに魅力的な信者の方や、その方がいる集会に行ってみよう、という気持ちにさせる方は、少ないように思います。というのは、このような勢いのある元気のいい、あるいは従来の枠組みにとらわれない信者さんは、どうも集会には居辛くなって、そのうち集会の中から出て行ってしまうから、ということはあるようなんですね。他の教会の人からも一定の評価を受けた人、例えば、F.F.Bruceなんかは、イギリスの集会でも、相当いやなことを言われたり、つらい思いをしたようです。F.F.Bruceが、最後まで集会に残ったというのは、私にとっての謎の一つです。Bruceの伝記を入手してみたいと思っています。 ところで、日本でも、多くの広いキリスト者集団から尊敬を集めている信者さんの中には、実は、元ブラザレン運動関係者、という方も意外と多いのです。とはいえ、それと同じくらい、問題を起こした方も、少なくはなくおられます。このあたりが実は、いろいろ考えさせられます。
ところで、勢いのある信者さんというのは、ある面、カリスマ性のある信者さんでもあり、このカリスマ性が集会では、どうも否定的にとらえられる原因になるようです。
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Facebookにのっていた、集会の問題点を指摘した北米の集会の姉妹からその集会で学んだ人に対する手紙の本文の続きです。
-------------------------------------------------------------- 1. Love forChrist. 2. Accepting HisLordship. 3. ObeyingHeadship. 4. Wearing thehead covering. Instead, we haveit backwards. 1. Wear the hator leave. 2. Oh, by theway, it symbolizes Headship. 3. Oh and that’spart of Lordship. 4. Love forChrist? Oh, nobody mentioned that. Is that even important? The Lord understood the necessary motive forobedience, so why don't we? Obedience is not the end all be all that wekeep hearing pounded from our pulpits, it is LOVE for Christ DEMONSTRATEDby obedience that is the important thing. I could obey headship and wearhats till the cows came home, but if within my heart there is no love forChrist in doing it, what profit is there in it? We just simply don't get it, dowe? Young people need CHRIST, they don’t need a bunch of rules. And thesewomen who no longer practice head covering, obviously never were foundedin the motive and truth behind it. They saw it as nothing more than arule observed by the assemblies. This is likely the simple answer to yourquestion. -------------------------------------------------------------- |
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Facebook上で、非常に面白い文書を見つけ、日本語に翻訳 or 和訳 or 日本語変換したいと思い、試しに日本語で読めるようにしました。かなり雑な翻訳の続編です。今日は、第6章です。前回から手紙の本文の続きです。内容としては、かなり厳しい表現となっていますが、ある面の事実を示していると思います。 なお、次の記事で、英文も載せておきます。【】で囲った部分は、変換者の意見・コメント・注釈です。 ----------------------------------------------------------------- キリストへの愛 → キリストが神であることを受け入れる → キリストがかしらであることを認める → 被り物をかぶる 被り物をかぶるか、集会を去る → あぁ、そういえば、被り物は、主が「かしら」だったからですよね。 → そういえば、それはキリストが主であるから、でしたよね。 → キリストへの愛?あぁ、そういえば、だれもそんなことは言わなかったですよね。それってそんなに大事でしたっけ? -----------------------------------------------------------------
この文章を読みながら、まぁ、こういう風に言う信者さんは日本では、あんまりいないと思いますが、語り手の側は、聞いている相手が知っているものとして、勝手に前提を置いて話をすることが多いようです。特に学びでは、概して、キリストへの愛は、既知の事実として触れないことが多く、むしろ、キリストの愛を大前提として、その結果として生まれること(例えば、被り物とか、幕屋とか、そのほかのこと)だけを語るところがまずいんでしょうねぇ。まぁ、集会では、それを体系だてて学ぶという習慣がそもそもないので、それが大きな問題を生み出しかねない、ということのようです。 私自身、振り返ってみても、確かに、学びと称される時間に、非常に基礎的な教理の部分というのか、信仰の土台となる部分について、話すのは、どうかなぁ、と思い、わりと細かな解釈論的なお話しをすることが多いように思いますが、しかし、いろいろなレベルの信者がいるとき、特に若い世代の人たちがいるときに、若い世代の人たちがわかっているつもりになっていることについて、基礎的な聖書理解についての解説を、していくことが重要かもしれませんし、細かな聖書理解を解説するよりも、骨太の聖書理解を、時に振り返りつつ、話していくのが大切かもしれません。最近、信仰とは何か、神の忍耐とは何か、聖書を読むとはどういうことか、聖書とは何か、救いとは何か、ということを改めてまとめながら、聖書から話す努力をしてみていますが、結構、面倒ではあるものの、大事かもしれないと思っております。 |
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Facebookにのっていた、集会の問題点を指摘した北米の集会の姉妹からその集会で学んだ人に対する手紙の本文の続きです。 -------------------------------------------------------------- So back to your dilemma: you are wonderingwhy those other women don't see it as I just described. Here's the answer,and back to phariseeism we must go: in the assemblies we operate by legalitymuch of the time, and on this matter, we over-inflate the hat. We make somuch of the head covering that we totally are blinded to the mostimportant thing behind it, and that is LOVE FOR CHRIST. You see, it is onlylove for Christ that is going to make me bow to His Lordship, which inturn will cause me to accept Headship, which will result in me wearing ahead covering according to His commandment. That is how the order shouldgo: |




