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Tim GrassのGathering to His Nameの中p.176からブラザレン文化に関する部分、The Emergence of Settled Patterns of Assembly Life and Worship(集会生活と礼拝のパターンの成立)の中のA Typical Sunday(典型的な日曜日)についての記載を紹介しながら、考えてみたいと思います。 --------------------------------------------------------- 聖餐式後の学び(Ministry)が持たれた集会は常に少数派であり、このような運営は、次第に他の集会に広まっていった。しかしながら、学びが、準備によるものか、その場で臨むべきものであるのかに関する見解の不一致が見られた。 --------------------------------------------------------- 聖餐式の後、学び会や聖書研究会を持たない集会は北米では意外と多いようです。というのは、大抵、聖餐式が1時間から2時間続くため、午前中はすべてそれに費やされてしまうため、というのが一つの理由ではないか、と思います。また、このグループの聖餐式では、聖餐式自体が長時間にわたることもあり、聖餐式の中で、学びが語られる場合もあるからだと思います。2時間の聖餐式に1時間以上の聖書の学び、というのでは、さすがに厳しいのではないかと思います。 北米のキリスト集会では、午前中聖餐式 午後 自宅に戻って、他人を招いての交わりや休息 夕方7時くらいから福音集会というところが多いようです。割と近いところの人が多いので、自宅に戻って一息入れて、という感じのようです。日本の集会で多いと思われるのは、午前聖餐式、午後福音集会と詰めてしまうタイプのようです。遠方から信者が来る関係上、仕方がないと思うのですが、これだと、結構疲れる方も多いようです。最近は、隔週で、午後福音集会、というパターンもあるようですけれども。 聖餐式の途中に、聖書を読むことはもちろん、建徳の学びとか、聖書の解説(といっても5分から25分まで、いろいろあります)がもたれるというのがおそらく、聖餐式の後に学び会がない第2の理由でしょう。その意味で、非常に長い聖餐式が行われているところが多いようです。 特に、聖餐式の中で、建徳の学びとか聖書の信者向けの話が語られることもあり、それが、あまり長いものでないこともあるようです。その点で、準備をしなくても、聖霊に導かれて、語れるため、準備が必要はないのだ、というご意見をお持ちの方もおられるようです。 ただ、このことの背景には、このグループの多くの方が聖書の虫、見たいに聖書を詳しく読んでいる人が少なくないこと、初期のこの運動の関係者の指導者の中には、神学校での牧師としての正規教育を受けた人がいることが大きく影響しているのでは、と思います。 昔は、かなり、準備をしない方が多かったらしく、今はご逝去された伝道者の方は、「聖書の話をするのは、講壇にたってみりゃ、何とかなるんだから、あんまり心配しなさんな」とおっしゃってくださいましたが…。ちなみに、私はがっちり準備して話しています。パワーポイントのスライドを使いながら…。 |
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2011年12月05日
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