ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

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Facebookにのっていた、集会の問題点を指摘した北米の集会の姉妹からその集会で学んだ人に対する手紙の本文の続きです。

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5. NO CONCERN FOR INDIVIDUALS
Another reason young people leave is because in the assembly we care more for the company as a whole rather than the individuals that make up the assembly. Just stay in line and don't step out, or your head will be on the block! It isn’t a place to learn and grow in a safe loving environment, it’s “be perfect, or be gone”! And I can prove this. If it were not the case, then why do we neglect and care less about those who leave? If we truly cared for individuals, we would extend Christian love to those who leave. But instead we adopt the attitude that maybe “for the greater good” we are better off without them, so let's groom those that are still here, and move on. Now, I am very grateful for being raised in the assembly and the firm foundation of teaching I have received in my lifetime. I believe the truths from Scripture and am not at risk of leaving! But why this all really concerns me is that I have friends who are contemplating leaving the assembly, or have left, or just will never come into fellowship. And this really bothers me.

Facebook上で、非常に面白い文書を見つけ、日本語に翻訳 or 和訳 or 日本語変換したいと思い、試しに日本語で読めるようにしました。かなり雑な翻訳の続編です。前回から手紙の本文の続きです。内容としては、かなり厳しい表現となっていますが、ある面の事実を示していると思います。

なお、次の記事で、英文も載せておきます。

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若い人々が集会を離れるもう一つの理由は、集会を作り上げている個々人よりも集会全体についての関心が強いことにあると思います。あるラインの中にいて、そのラインからはみ出さないようにしなさい。さもないと、あなたの頭は塀の上にあることになります。このような場は、学ぶ場であったり、愛し合う場でしょうか。完全であれ、さもなくば去れ、といった感じの場所とはなっていないでしょうか。このことの証拠を示すことができます。このことではないとしても、だとすれば、どうして、去っていく人々に関心を示さないのでしょうか。もし、個人に関心があるとすれば、我々は、去っていく人々にも愛を示すことができるのではないでしょうか。彼らがいなくなってより良くなったという態度をとるのであれば、集会にいる間にもっと関与をしたら良かったのではないでしょうか。私は、私の人生に受け取った教えをしっかりとした基礎と今所属する集会で育てられたことに感謝しています。聖書の真理を信頼していますし、私自身は集会を去るつもりはありません。しかし、なぜ、私は、集会を去ろうとしている人や、すでに離れた人、集会の中に決して戻ってこない人に友人がいるので、このことが気になるのです。このことは本当に私にとっての悩みの種です。


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確かに、この方の指摘のように集会全体のために、個人が犠牲になるという面は、集会が複数人からなるコミュニティである以上、多少は避けられないとはおもいますが、確かに、集会を離れてしまった人について、時に冷淡にすぎるように思います。この方のように、集会から離れて行かれた方と継続的な友人関係があるような場合、あまりの冷淡さに心痛めるというのはあると思います。

とりわけ、日本での場合、他の教派をあまり普段からよくいってないこと、さらに、超教派関係でのほかの教会との友好関係が集会に少ないこと、超教派活動をあまりよくいわないことなどから、集会に行けなくなった人の行き場(逃れの街のような教会や集会)が限られる、ということはあると思います。その結果、集会を離れることで、キリストへの信仰も継続できなくなるというケースも少なくない、と思います。本当に残念なことですが。

とはいえ、基本OJTで指導者養成をするキリスト者グループなので、個人に対する霊的ケア、というのかミニストリーというのか、霊的な指導者としてのメンターみたいな事柄をもう少し考えることも必要かなぁ、と思います。もちろん聖書のことを詳しく解釈することも、それと同じくらい大事だとは思いますが。








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