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Tim GrassのGathering to His Nameの中p.178からブラザレン文化に関する部分、The Emergence of Settled Patterns of Assembly Life and Worship(集会生活と礼拝のパターンの成立)の中のLeadership and Office(リーダーシップと教会運営)についての記載を紹介しながら、考えてみたいと思います。 --------------------------------------------------- 19世紀のイギリスの社会では、リーダーシップをとることは公的な役割を果たす機会ととらえる伝統がみられた。ある程度のブラザレンの指導者においては、このような考え方の反映がみられる。Coadによれば、19世紀後半において、指導者層の交代があり、元聖職者や貴族から、ビジネスの世界からの人物(変換者註 ジェントルマン層)、成功したビジネスマンや豊かな農民に交代している、とされている。彼らは、彼らが得た利益で建物を提供したり、巡回する伝道者を支援したり、その集会に信者の世話をする人としてとどまるように勧めることもあった。このような(一人の人物の貢献)の欠点は、一人の物事への取り扱いのコントロールが非常に密接であるために、集会の発展を妨げることになりかねない点である。 --------------------------------------------------- このリーダーシップをとることが公的な役割を果たす機会としてとらえられているビクトリア時代の伝統というか常識、ということに関しては、シャーロック・ホームズシリーズの3人の学生にも出てきます。社会のリーダーとなるべき大学生が、試験のカンニングをするというストーリーなのですが、いい就職先が卒業できれば約束されていたにもかかわらず、カンニングという不正行為を恥じて、インドかパキスタンに軍人だか、警察官になっていく、という結末を迎えるというお話だったように記憶しています。 そういえば、シャーロックホームズの話には、名門であるが身代を持ち崩してピーピー言っている没落貴族やスキャンダルに巻き込まれた貴族の話がやたらと出てきますが、ちょうどビクトリア朝時代というのは貴族階級の凋落を迎えた時代の転換点だったのかもしれません。Miss PotterというPeter Rabbitの作家の半生を描いた映画もこの時代の雰囲気を醸し出しています。 ビクトリア朝を境にして、従前の貴族階級が没落し、新興貴族階級ともいうべき紳士階層の社会での役割が大きくなるにつれて、集会の指導者層も、大幅に転換することになったように思います。 日本では、開拓伝道で集会の原型を構築した人や、伝道者、設立に力のあった人の影響力が非常に強いというのも、この英国の伝統を引き継いでいるのかもしれません。本当は、キリストの体である教会って、そんなものでいいのかなぁ、と思います。また、これが悪く働くと、影響力が大きくなるのを避けるために、せっかくの奉仕ができるにもかかわらず、それを自主的な形式をとりながらも他律的に、あるいは他律的に抑止される場合もあり、そういうのは、どんなものかなぁ、とも個人的には思います。 それから、みなさん、新年明けましておめでとうございます。今年も、お付き合いいただけたら、と思います。 |
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