ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

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中村敏さんの


日本プロテスタント海外宣教史: 乗松雅休から現在まで 


が新教出版社から出ていますが、今回は、この本の一部を紹介しながら、ブラザレンと福音宣教、とりわけ、海外伝道をめぐる考え方について、考えていきたいと思います。

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1921(大正10)年1月に乗松が小田原で57歳で昇天した際、朝鮮で彼に導かれ伝道者となった。朝鮮人2名が朝鮮から駆けつけた。その一人、金太熙が葬儀の席で涙ながらに語った乗松への思いは参列者一同を感動させた。

イエスキリストは神様であるのに、人とおなりなされた。この愛に励まされて乗松兄は朝鮮の人を愛しました。世の中には英国人になりたい人たくさんおります。米国人になりたい人たくさんおります。(中略)けれども乗松兄は朝鮮の人になりました。この愛はいかなる愛でありましょうか。

おりしも朝鮮人が過酷な日本の植民地支配に耐えかねてついに立ちあがった3・1独立運動から2年足らずの間であった。多くの朝鮮人にとって日本人は無慈悲な征服者であり、不倶戴天の敵ともいうべき存在であった。そうした歴史的文脈での金の思いに、乗松の朝鮮伝道の在り方が余すところなく示されていると言えよう。

同書 p.13
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この記述を見ながら、従来尊敬をもって接してきた、朱子学をはぐくんだ礼節が重要であった国家であった当時の中国で、アヘン戦争期以降の欧米列強のやりたい放題の様を見せつけられていく中で、福沢諭吉君は脱亜入欧をいち早く果たし、朝鮮半島、大陸に対して優位に立とうとしていたそれこそ、坂の上の雲を目指して歩んでいた時代背景の中で、この金さんの表現は非常に重要だと思います。ともに朝鮮の人を神が愛した人として対応しようとした乗松の姿を見るようだと思います。

福沢諭吉が、学問や殖産興業、富国強兵を図り、欧米に比肩しなくとも、アジアの中でトップになることで、朝鮮や中国(当時の清朝)を指導するような立場を目ととしていたのに比べ、乗松の立場は、それと大きく違う形をとりながら、ともに朝鮮の民とあるものとして位置づけし、神の愛を示していこうとしているという意味で、非常に興味深いと思います。

乗松雅休の研究者である藤尾氏の研究によれば、朝鮮の水原に渡った当時の乗松は、ただ一語、神という言葉のみを知った状態で朝鮮半島に渡ったようです。このような冒険的な精神を一方的に賛美するものではありませんが、乗松という人物を考えるとき、この指摘は重要か、と思います。

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