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もちろん、ベーシックなことを繰り返すのではつまらない、ということもあるのかもしれません。そんなことは、普段の教会(集会)でやってればいいことで、特段学ぶ必要がない、せっかく全国から来られるのであれば、それだけの価値がある、めったに聞くことができない終末論を聞くほうがよい、というご意見も理解できなくはないですが、後藤俊夫先生の「終末を生きる神の民(21世紀ブックレット)」いのちのことば社 刊でご指摘になっておられること「」をどう考えるのか、といったあたりのことは、是非お聞かせいただきたかったなぁ、と思いました。まぁ、「再臨が近いということで、勉強やら仕事やらといった日常生活にゆがみが発生することのないように」というということを注意は一応したから、それでいい、ということかもしれませんが。
(後藤敏夫著 『改訂新版 終末を生きる神の民』 pp. 16-17) それから、先週の木曜日、2番目と4番目に語られた方に個人的に問い合わせいたしましたお返事を頂戴いたしました。まず、この方が引用先を明らかにすることなく、批判的に取り上げられた新約ギリシア語学者は、以前大阪で教鞭をとっておられたTKさんという方の本であることをご教示いただきました。その方の学識は尊敬しているが、その方の主張は納得していないので、信者に教えてほしくない、というご希望でしたので、イニシャルだけにとどめます。まぁ、過激なことが売り物の方だから、多分そうかなぁ、と思っていたのですが、やっぱりそうでした。
ローマ書13:11-14から、時とか、時代のしるし、ということを説明されましたが、時や時代を一定の期間だと説明されておりました。時・時刻・日にかんして、それがすべての一定の期間、時間のようにお話しておられましたが、その意図とは何か、とおたずねしたのですが、文脈で読んでいるということと、その根拠となった書籍の紹介だけでそれで理解してください、ということでございました。とはいえ、先行する用語をこのように解釈した結果、文脈から判断して、これらのすべての表現(時、時刻、日)を期間であると断言されたのかの根拠はお示しいただけませんでした。文脈から理解した結果であるとするばあい、その文脈のとり方を説明せずに文脈から判断した、というのは、答えになっていない答えではありましたが、これ以上の議論は双方にとってあまり意味がない、と思いますので、これ以上おたずねしないことにいたしました。
最後に、わたしの頭に浮かんだ聖句だけを記載して、私の思いを示したいと思います。
「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。ただし、その日(hemera)、その時(hora)がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。」
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2012年01月30日
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