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Tim GrassのGathering to His Nameの中p.181からブラザレン文化に関する部分、The Emergence of Settled Patterns of Assembly Life and Worship(集会生活と礼拝のパターンの成立)の中のLeadership and Office(リーダーシップと教会運営)についての記載を紹介しながら、考えてみたいと思います。 --------------------------------------------------- 貧しい人への対応と会計の責任は責任者を置くことの原則における広く認められた例外の一つとされた。これらの優先性と説明責任が求められるがゆえに、信頼するに足るある人物を選び、集会によって任命され、会計と貧しい人々の受け入れの責任にあたらせることが当然と考えられた。このような任命は、霊的な必要性よりも、物質的な必要性のことに関して、任命されることは受け入れられたのである。多くの分離派の教会とは異なり、ブラザレンでは、これらの具体的奉仕に当たる人を執事として、任命することをすぐに辞めてしまった。しかし、事務局長、または、『渉外にあたる兄弟』は集会生活において一般的なものとなり、話し手の依頼などにおける彼の役割の重要性から、一定の影響力を集会に及ぼすものとなった。 --------------------------------------------------- 話し手にだれを呼ぶかは、結構、神経を使う問題ですし、日本国内の現在のキリスト集会の中では、巡回伝道者に当たる方々に、あるいは、その集会で責任のある方々にお願いしているところが大半だと思います。このような責任のある方々や、巡回伝道者に相当する方々(勝手に自主的に回る人々ではなく、招聘に応じて巡回する人々)へのアプローチは、基本的にある程度の教会生活の長さと、その語り手の人々との個人的な付き合いの深さ、またその人の考え方を知っていることが求められるので、聖書の特定の個所に特殊な強調をおく人々(典型的には、奇跡、とりわけ癒しや異言[わけのわからない言語で勝手に話し出す行為])を招聘した場合、信者に動揺が起きたりする場合もあるので、それだけ慎重さが求められます。また、招聘に伴っては、謝金も発生しますので、その処理もあるので、一定の明朗さがある方が望まれるのではないか、と思います。 ところで、人数が少ない教会では、会計の責任に当たる事務長と集会全体の役割を見る代表ないしは日本国内では長老と呼ばれることが多い役職に当たる人々が同一人物であることも少なくないと思います。この結果、どうしても、一般信徒が、ものを言いにくい状態が生まれる場合も少なくありません。ある面、集会(教会)といっても、信徒一人一人に大きな影響を与えるのが、霊的な牧会の役割を果たす人々と、物品の購入や献金の管理などを含め、信者の物理的環境を提供する責任を負う人々ですので、人数が多ければ霊的及び教理面での責任者と会計責任者分離、ということは可能ですし、そうしているところが多いようですが、人数が少ないところでは、この分離が進まず、日曜日の活動への参加者の規模が相当大きくても分離が進まない文化が形成される場合もあるかもしれません。この結果、不明朗な会計処理や、支出に関する意思決定の問題が起きかねないことや、そのことに疑問をもったとして、それを口にすることが、長老や責任者への尊敬を損なう行為であると、長老や責任者、あるいは一般のセイントから受け取られかねないことも少なくなく、疑問に思っても、それを口にすることが難しくない場合も少なくありません。その結果、不明朗と言われかねない対応や処理がそのままずるずると続く、という場合も発生することがあるようです。 |
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2012年02月13日
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