ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

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中村敏さんの


日本プロテスタント海外宣教史: 乗松雅休から現在まで 


が新教出版社から出ていますが、今回は、この本の一部を紹介しながら、ブラザレンと福音宣教、とりわけ、海外伝道をめぐる考え方について、考えていきたいと思います。

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乗松は、卒業後家族や藩(松山藩)の期待を受け、立身出世の道を目指して上京した。まず東京の根岸にあった松山藩の学寮で学んだ後、神奈川県庁に就職した。この時彼が下宿した家の老婦人が、日本最初のプロテスタント教会である横浜海岸教会(最初は日本基督公会)の熱心な信徒であった。彼女に連れられて教会にいって以来、乗松は熱心に求道生活を続けた。そして、1887年(明治20)年に、横浜海岸教会で稲垣信牧師から洗礼を受けた。時に乗松24歳であった。

中略

しかし、(明治学院神学部)卒業を前にして、そのころ日本に入ってきたプリマス・ブレズレンの教えとの出会いが、その後の彼の生涯を大きく変えたのであった。プリマス・ブレズレンとは、19世紀の初期にイギリスのプリマスで始められた信仰運動である。J・N・ダービーがその主唱者で、互いをブレズレン(兄弟たち)と呼び合った。当時の英国教会は形式主義に傾きがちであったが、彼らは制度や儀式、信条にとらわれなかった。彼らは特定の教派を作らず、聖書のみに絶対的な権威を認め、職業的教職制度を認めず、日曜日ごとに聖餐式を守り(「主のテーブルを開く」といった)、熱心に伝道した。アイルランドので信仰と祈りのみに頼って数千人の孤児を養った有名なジョージ・ミューラーもこの群れの一員であり、海外伝道に熱心であった。

同書 p.14
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乗松は、坂の上の雲で最近話題の秋山真之や正岡子規の先輩にあたり、秋山好古の後輩にあたる人物で、松山藩の学寮という意味では、まさに、秋山・正岡の先輩筋にあたる人物ですが、横浜で、ヘボン(ヘップバーン)が始めた横浜の教会にいたようです。その意味では、教会史的には、植村正久の後輩に当たる人物といってよいでしょう。

このころの明治学院大学は、明治・大正期の主要な伝道者を養成している学校でもあり、乗松もその一人であったということのようです。

何より、このなかを読んで思ったのは、プリマス・ブレズレン(プリマス・ブラザレン)は、ほとんど存在を知られておらず、解説がいるほどの教派であり、中村さんがその特徴を(女性信徒は、頭にベールをかぶるという特徴を除いて)非常に明白にとらえているのが面白かったです。その意味で、上に書かれた中略以降の部分が、他のキリスト者集団との明白な区別、とも言えるように思います。

他の方の視点が結構、ポイントを突いているので、ブラザレンの特徴の概略を知るのに非常に参考になるように思います。上の中村さんの記述は、その参考例として案外重要かもしれません。

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