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帰国してから後の自派研究の着手
この被り物(ワシントン州では帽子、日本ではベール)の問題を起点に1998年に日本に帰ってきて、同じキリスト集会でもなぜにかくのごとく差異が生まれるのか、キリスト集会の文化とは何か、という問題を考えて始めることになる。そして、女性の服装が19世紀風であるので、なんか、アーミッシュみたいと思っていたのである。 しかし、アーミッシュと違ったのは、信者さんたちが乗っている乗り物である。何に載っていたかというと、紺色のタウンカー、警察が使用するCrown Vicと呼ばれる車より一回り大きい、Lincoln Continentalとか今でいうLexusとかメルセデスと呼ばれる、鉄の馬から出てくるので、非常に驚いた。ゴージャスなタウンカーという鉄の馬に乗る、テクノ志向のアーミッシュという実に矛盾した感じだったのである。Honda CivicやToyota Camryとかではなく、タウンカーだった。(なお、アメリカでは、乗っている車でその人の年収や社会的クラスがわかる。) あと、ある家系にだけ見られる、特定のイントネーションでの祈り方があったのだ。特定の節回しで、ある部分は高音で祈られ、突然、低音に向かっていくような祈り方が見られた。祈る声の音程が上がったり、下がったりするような祈り方であった。紙とか、イエスとか、主とかっていう語は突然高音の音程で祈られ、そうでない部分は急激に下がるような祈り方をするご一家がおられた。 最初の手がかりとなった本 「なんで、こうなの?」ってことを理解するためには、歴史を手繰るしかなかった。そこで、Nathan Delynn Smithが1986年に書いておられたRoots, Renewal and the Brethren をAmazonで注文し、2001年ごろから読み始めた。この本の中に、集会の成立過程の略史と関連する諸教派(たとえば、バプティスト、クェーカー、国教会などなど)、集会をやめた人へのインタビューの整理した結果などがまとめてあって、やめた人の行き先としては、バプティストが多いらしい、と書いてあった。「へぇ〜、アメリカだとこういう研究して、こういう本が売れるのだなぁ」と思っているうちに、2回目のアメリカでの研究生活の話が始まる。 このNathan Delynn Smithの本で、実は、John Nelson Darbyの母親は、QuakerあるいはShakerと呼ばれるグループの出らしいことが記載されていた。そして、それは、Darbyの特殊な表現や聖書理解に深く影響していると思われる。まぁ、似たようなことは、John Wesleyでも、同様の影響があったらしいことが、野呂さんという方の「ウェスレーの生涯と神学」に書いてあった。あと、このNathan Delynn Smithの本には、このJohn Nelson Darbyの母親が幼児洗礼を強硬に主張していたらしい。集会では現在では成人洗礼が定着しているが、初期のころは幼児洗礼が行われていたことはある面、面白かった。まぁ、この幼児洗礼というのは、当時は幼児の死亡率が高かったため、幼児洗礼をして教会員に形だけでもなっておかないと、教会墓地への埋葬ができなかったという側面もあるようだ。 後、意外だったのは、この時期の集会の指導者層が、かなり高学歴で、インテリばかり、あるいは余裕がある層ばかりなのである。国教会の司祭、学者、文筆家、医師、企業家が中心である。また、これらの人が憐れみの心にあふれた人が多かったため、弱者救済や都市部の貧困な工場労働者、炭鉱労働者などへの伝道をしていく。そして、しかし、第2世代、第3世代と世代交代していく中で、集会の指導者層がかなり変わったことを知って、あ、そうだったのだ、と思うと同時に英国の厳然たる身分社会(現在もなお身分社会は確実に残っている)を思うと、この辺の社会の指導的役割をする層が英国では限られているということを考えると、集会というのは非常に特異な社会集団なのだなぁ、ということを思うようになる。 長老の言うことには問答無用で絶対服従? この自派研究が始まった1998年から2002年にかけて、現在の集会で過ごしたのだが、そこで現在は、他所におられる当時「執事」の方が、クリスマス会を開催方法の問題で、「個人的には異論があるのですが」と申し上げメールでやり取りしていたところ、「集会の責任者にとにかく従うべきである」を名指しはなかったものの公の学びの中でかなり強い語気でご教示してくださったり、「集会の責任者に従えないのか」とご発言があったりしたので、「何でこんなことになるのだろうか?」「何が原因だろうか?」「集会の責任者に何が何でも服従なのだろうか?」「相談や議論の余地がなぜ生まれないのだろうか?」ということを考えるようになった。しかし、その当時は、原因がなぜかは、わからないままであった。後年出会うことになる、工藤信夫さんの「信仰による人間疎外」ではないが、ちょっとした疎外感ぐらいは抱いた。ちなみに、この工藤さんの「信仰による人間疎外」は一読をお勧めする。工藤信夫さんによると、間もなくその続編が出るらしいが。 まぁ、「集会の責任者に何が何でも従うべきである」ということをお話しされた方は、お住まいと集会所在地が遠距離であったことなどや職場の変更などいろいろご事情もあり、現在私が所属する集会には、参加されなくなってしまったが。個人的には、今集会の責任者をしているが、そんなことは思ったことはないし、基本的には、お互い納得するまで対話をすればいいと思っている。納得できなければ、問題になっていることを一度やめてみればいいだけの話であるとも思っている。 遠距離集会への参集への疑念 また、この方を含め、かなり遠距離の方が多くの集会の中でメンバーとしておられる集会は多いと思う。これってどうなのだろうか、と思うのだ。阪神大震災といい、その後来られなくなった執事の方といい、このような遠距離通所型の信仰者の姿をある面当然であると考えるのは、どのような意味を持つのか、鉄道や高速道路の存在を前提にした集会運営ということについても思いを巡らせることになった。のちにこの疑問は、キリスト教会の地域コミュニティ性問題としての再検討という概念とのかかわりへの思惟につながっていく。 ハーバマス研究とシステム理論 このころ、世俗の仕事の関係で、ミクロ経済学の産業組織論との関係でゲーム理論の文献(まだ理論経済研究には少しは未練があったので勉強していた)や企業組織論とのかかわりで一般システム理論を勉強していた。この一般システム論の研究の中で、ユルゲン・ハーバマスというドイツ人哲学者の日本語訳を読んだのだが、さっぱりわからなかった。必死で読んだ。ハーバマスの翻訳本の日本語が日本語でない感じであったので、この時期は、ハーバマス関連の日本人の学者の方が書いた書籍を読んで過ごしていたり、ハーバマスの英訳を読んで過ごしていた(自慢ではないが、フランス語族なので、ドイツ語は読めない)。ハーバマスは英訳の方がはるかにわかりやすかった。これが現在、キリスト教界でも話題になりかけている公共圏を考える出発点となっている。 そして、このハーバマスとの出会いから、カントなど批判哲学の源流への哲学的思惟を進めていくことにもなった。もちろん、メインの仕事は計算機科学になりかけていたから、そちらの方がメインであったので、哲学研究は関連研究であったので、院生向けの入門書程度を読み漁ることでしかなかったけれども。 被災地支援で、被災地の仮設商業施設(商店街の再建に伴い店舗があっちこっちへとしょっちゅう移転するので)のコンピュータ案内システムなどを作成しながら楽しく過ごさせてもらった。地元紙の産業欄に、かなり大きく報じられたので、同僚からはやっかみ半分の言葉もむけられはした。また、神戸市長田区の被災地のデータ処理のためのシステム化やそれにまつわる作業にも、ちょっとだけ手伝わせてもらった。 |
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2015年03月09日
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