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2回目のアメリカ滞在
2002年から、ロサンゼルス近郊に1年ほど滞在しようとした時、ロサンゼルス近郊で集会を探したが、見当たらなかった。その頃は、ネットもある程度は充実してきていたので、Brethren chapelやBible Chapelとかで検索すると、それらしいものがいくつか出てきた。Emmaus Bible Collegeのサイトにアメリカのキリスト集会のリストが当時はあったので、そのうちのいくつかの候補に連絡を取ってみたら、「あなたが住もうとしているところから遠いので、お近くの教会に行ったら」というようなお返事を頂戴した。それほど南カリフォルニアでは、集会は絶滅危惧種であった。さらに調べていく中、すでに、ChapelやAssemblyを名乗らず、すでにCommunity Churchを名乗っておられるロスアンゼルスの教会もあった。困りあげているところ、Wさんというロサンゼルスの近郊でちょっと前まで長老をしていた方が見つかり、連絡を取ったところ、「いやぁ、うちもメンバーが高齢化して日曜日にも、集まらなくなったので、つい1年ほど前に集会を閉鎖し、自分は近所のコミュニティチャーチに通っている。君が住もうとしている地域は多少知識があるから・・・」、ということで、日本で言えば福音自由教会、すなわちThe Evangelical Free のCommunity Churchを紹介された。 紹介状が要らないの?えぇ? まぁ、アメリカの教会文化というか教会事情が分からないので、しょうがない、自分で自分の紹介状を英語で書いて、その翻訳までつけて、集会の長老に提出し、長老の方にサインしてもらって、それをもってコミュニティチャーチに行った。そして、初日、その教会のプログラムがはけた後、そのCommunity Churchの牧師に渡したら、一瞥して、「はい、うちはいらないから」とおっしゃって、あっさりご返却。「なにこれ?」になってしまった。 それが、「紹介状というのは、実は集会独自の制度ではないか、なぜ、このような制度があるのか」という疑問が浮かんだ。アメリカにいることをいいことに、Amazonで本を注文しては集会史を調べ上げていくことにした。そして、何冊か本を買った。それらを現地でも読んではいたが、帰った直後は、積読であった。 熱心に研鑽させてもらいました なお、この200人規模のCommunity Churchでも、毎日曜日以外にもSmall Groupも当時は10個くらいのスモールグループがあり、そのうちの一つ、割と教会のコアに近い人々が形成しているスモールグループに継続して出席し、Small Group活動というものを体験し、その一環として、教会清掃など、Yard Sale(いわゆるバザー)やKids Klub(教会学校)などの手伝いなどをした。「一時滞在の外国人で、その教会でこれまで最も教会に関与した人」とうわさされていたことを帰国間際に聞いた。非常に思い出深い時期でもある。 研修先の大学では、離日前から着手していた金融自由化、1999年のみなと銀行の経営破綻に端を発する金融危機の結果生じた支店の閉鎖問題やアメリカの地理研究における金融機関の支店変遷の研究と金融制度論、アメリカ固有の決済システム問題やATMに関する既存研究の調査や、セミナーなんかを聴講していた。 ヒステリックになっていくアメリカの社会で しかし、2002年といえば、War on Terrorで対フセイン戦争にアメリカが一気に向かった時期である。この教会でも、「国のためにService(奉仕)している前線の兵士のために(さすがに、その勝利は祈りの中では、言わなかったが)」という祈りがささげられたり、Small Groupのリーダーが、「我らのリーダー(George W. Bush)が毎朝神の前に祈ってから執務を始める。なんと我らのリーダーは素晴らしいではないか」とあけすけな大統領賛美をしておられて、「え、なにこれ、マジですか?」という感じになったのではある。 個人的には当時のダボヤと呼ばれる息子のジョージ君は、Texan(Texas語)が第1言語で、英語が第2言語の大統領ではないかと噂が当時リベラルな東海岸の新聞界隈で絶えなかった。個人的にはあまり好きになれない人物であったので、このスモールグループのリーダーの一人の発言には当惑を覚えた。 そして、小学校の職員室(といっても軽くコーヒーが飲めて、マフィンとか、ベーグルが置いてあって、10時過ぎの中休みに、先生方がベーグルにクリームチーズを塗りたくって朝食として食べておられる先生方が多かったが)で、ちょっとした休憩時間に戦争のことや、「戦争ってどうなん?」ってことが簡単に言えない状況だった。マスコミも無論、戦争反対という感じの論調はなく、昔の近鉄バファローズの打撃チームの「いてまえ打線」ではないが、戦争がほぼ日中流され続けた。そして、それを見ながら、今この国の人々は、憲法修正第1条(The first amendment)をどう考えているのだ、と真剣に思った。それと同時に、911でTwinTowerにむき出しの暴力が向けられたことの衝撃を覚えた。この数十年、米国本土への核戦争に怯えつつも、米国本土が武力攻撃されたことのなかった国民に対して向けられたむき出しの暴力にヒステリー状態なんだなぁ、と外国人としては思った。 ライブで見ていた2003年の開戦の大統領演説 米国NBCによるBushism(ブッシュ大統領の面白発言) この映像の中で、一番笑ったのは、Human being and Fish co-exist peacefully. 魚と人間は平和裏にすごすことができる。(たぶん平和に共存したら、人間は水死すると思いますが…) ブッシズムには、Wikipediaの日本語版があった。 ところで、このスモールグループで、「我らのリーダーは祈りで一日を始めるから…」といわれた方は、空軍を将官で退役した後、ロッキードかどこかにお勤めの方だったので、ガテン系の方ではなかったのだが、それでもこの人にとってもこう考えるのだ、とちとびっくりした。普段は非常に温厚な方であり、紳士的な方ではあったのではあるが。 何だ、同じじゃん なお、このCommunity Churchに参加し、聖書理解的にはほぼ集会と違いがないし、その教会にいることも楽しかったので、他所をあまり回ることなく、そこに結局1年いた。そして、「他のキリスト者も集会とそう違わない、集会とは違うと思っていたのは、思わされていたのは何だったのだろう」と思うようになった。 当時のアメリカの雰囲気 今日は、当時のことを思い起こす画像を何枚か示しておこう。 こんなステッカーが貼ってある車が結構走っていた
どこぞの高校では、トラックにはこうすることが求められた それこそ United We Standというステッカーがバンパーに張られ、Stars and Stripesの旗をつけたトラックが走り回っていたのである。そして、滞在先の学校関係者から、パスポートは常時携帯すること、北欧系の見るからに北欧人がロサンゼルスのダウンタウンで、その訛りから逮捕拘束され、2日後にようやく解放されるなど、苦労するから、と全外国籍関係者を集めたセミナーが開かれたほどであった。5年前の超のんき、脳天気だったアメリカが、一瞬にしてここまで見事に変質するのか、と唖然とした瞬間であった。まさしく、一瞬の情熱で変質する姿を見たのである。最近の別ブログでの記事ではないが、あぁ、リバイバリズムの影響だったのだなぁ、と今になってみればよくわかる。 そして、アメリカが非常に外国人に居心地の悪い中、2004年の夏に日本に戻った。 次回、帰国後キリスト教の幅広いからだとの第3種接近遭遇(古っ!) |
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2015年03月10日
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