ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

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When I was not Wee(2)

世俗の仕事で
また、このころ、割と大きな研究補助金の申請について「共同研究者が主になるから、協力を」といわれて、申請した。私個人の担当は、その実務とか、技術的なところをする予定であったが、その共同研究者の方が、「他でも補助金を申請するからと、あなたが主担当で提出してくれ」といわれたので、いやいやそのようにした。そして、その補助金が当たってしまった。その結果、「その共同研究者の方が、あなたが主担当で出したのだから」と丸投げに近い形となり、それをほぼ一人で抱える格好になってしまった。そして、日常の研究生活が激変した。まぁ、この研究補助金の申請主担当を受けさせられた時から、サポート役でも楽ではない仕事であったので、その当時長老であったが、この補助金が当たるかどうかが判明する前に、一時的に長老を退任した。当たったら大惨事だったと今になってみれば、よく決断したと思う。

かなりの金額を頂いた調査研究をまぁ、抑うつと同居しながら、やったようなやらないようなとりあえずやれる範囲のことをして、終えることはできた。そして、いただいた調査研究への補助金で得られたデータを用いて、共著論文を共同研究者の方と書いた(実質7割くらいの作業と論文作成の負担はしたと思う)。この論文は、その学会の方々にとって、面白かったのか、公益社団法人格をお持ちの某学会の学会論文賞を頂戴した。学会論文賞の授賞式には、抑鬱からの回復途上でもあり、まだまだ、人前に出ることはしんどい時期だったので、共同研究者の方に出ていただいた。

なお、この研究補助金を頂いた研究で、ロバート・D. パットナムの『孤独なボウリング Bowling Alone』という今話題のソーシャル・キャピタルあるいは社会的資本ということに目が向いた。そして、パットナムの系譜の研究書をあさりながら、その研究の背景や意義も探ったのは、楽しかった。実は、やっているもう一つのブログで懸案事項になっていることの一つに、このパットナムの研究で考えたこと、ということがあるのだが、それはまだ公開できていない。ただ、この『孤独なボウリング』の最初の方の章に、アメリカの共同体の原型における教会の役割とコミュニティのかかわりとその歴史的変遷の記述がある。是非、教会人にはおすすめしたい本である。

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孤独なボウリング

集会の長老の退任
これに加えて、ちょうどそのころ指導していた学生が、精神的に少し不安定になったのもあって、そのことの対応やらと、ちょっと状況を一人で抱えられなくなり、さらに仕事を抱えられなくなりかけていた。抑鬱状態が発生していた。あまりに様子がおかしいと自分でも思ったので、心療内科に3年ほどお世話になった。心療内科に行った当初は、休職のための診断書を書こうか、と医師がいうほどであったが、まだ、余裕があるとは思ったので、通所と投薬で対応した。

先にも触れたように、仕事が大変になる直前に長老を退任した。この規約にのっとっての退任(特段、問題行動があったわけではないが、個人的な仕事の面を理由とした退任)は、結果的にいくつかの面で良かった。一つは、集会の責任も抱えていたのでは、おそらくもっと状況が悪化したであろうことは想像に難くない。また、この退任によって、集会の長老とか執事の役割は、永続職や終身職でないことを実際の形を通して集会の皆様に示せたようにおもう。何より、私自身が、そういう責任にしがみつく、ということの意味とその副作用を見つめ、長老だの執事だのという、職分そのものを自己の聖書理解の中で、相対化できたからである。その意味で、出処進退をわきまえる、ということの大切さを学んだ。

原理主義関連の研究
 また、911テロとの関連で原始主義関連の文献が日本でそろい始めたのも、この時期である。小原 克博, 中田 考, 手島 勲矢著の「原理主義から世界の動きが見える (PHP新書)」が出たり、その他原理主義関連の書籍が大量に出るようになる。しかし、最近話題になった、当時同志社大学一神教センターにおられた中田考先生がイスラム担当で書いていておられた。
これらの研究成果とカルト研究と合わせていったのがこの時期である。そして、この原理主義研究の中で、J.I.Packerの著作にもう一度出会う。それが、Fundamentalism and the Word of Godである。実は、90年代初頭に買っていたのだが、積読になっていた本である。

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原理主義関連の中で割とよい本

この原理主義研究を進めていくうちに、キリスト教型原理主義に、キリスト集会発の思想というか神学というか聖書理解(別ブログでかなり批判的に扱っているディスペンセイション主義神学)が非常に深く関与していること、そして、このディスペンセイション神学がD.L.Moodyという人物を得ることによって非常に多くのアメリカのキリスト教界の人々に影響していること、Moodyの活動がリバイバル的な側面もあり、アメリカ福音派に、そしてアメリカ全土に一気に広がっていくことを知った。そして、聖歌の編纂者の中田羽後氏の父、中田重治氏にこのMoodyの理解が影響し、中田重治氏は再臨運動(そして、日ユ同祖論につながっていく)ということを日本で起こすなど、日本の福音派にも多大な影響を米国経由で与えていることをこの研究の中で知ることになる。

心揺さぶられた衝撃的な研究成果
 これらの研究成果は自らの信仰の土台をゆすぶられるような実に衝撃的な研究であった。実際に何度も頭を抱えた。衝撃的な事実が出てくるたびに。
しかし、「知らない方がよかったか」と尋ねられたら、「それはない」と答えたい。もし、知らなかったら、無批判に自分が、そして、自分たちだけが正しいと言い募っていたことは容易に想像できるし、特殊な再臨理解や終末理解と聖書そのものの主張と切り離して考えることも、その特殊な終末理解を自己批判的にとらえることもできなかったであろう。

なぜ、この特殊な終末理解が生まれたのか、そして、米国を中心として広がったのか、ということに関しては、今週末ぐらいにこのシリーズのまとめとして、個人的な理解を開陳する予定なので、今しばらく待ってほしい。

このようにいろいろわかってくると、研究者の悪い癖が出てくる。影響したのであれば、その影響範囲を調べたくなるのだ(要するに伝染病の隔離領域の決定と同じである)。そして、福音派とは何か、福音派の神学形成とはいかにして発生したのか、それとディスペンセイション主義の影響とはどのようなものであったか、そして、それ以外のキリスト教のほかの集団と何が違うのか、という視点でより広いキリスト教に関する概念整理、地理情報学の徒でもあるので、地図化した形での整理概念を形成したくなったのである。となると嫌でも、また調査が始まる。

海外でも行ったついでに教会の実地調査
 そして、この時期は、海外学会で発表のようなことをしていた時期でもあるので、結構カリフォルニア州などに出張するような機会が多く、カリフォルニアに行くと、できるだけ違うキリスト教の教会(これは日本ではしにくい)を訪問して、教派的な多様性と教会の特徴を理解することに努めた。

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