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お知り合いの方から、なぜ私がこんな風に集会について研究するようになったのかの、経緯を書いてはどうか、というおすすめがあったので、こちらのブログの方は、ものすごく久しぶりであるが、ちょっと書いてみようかと。
Wee as a High Schooler 1978年4月にバプテスマを受けた。 ところで、このバプテスマを受けたいといった時に、兄弟会に呼び出され、当時御健在だった石浜義則さんから「あなたは首を切られてもイエス・キリストを信じる、といえるかね?」と聞かれて、「いいえ」とも言えないので、「はい。」と勢いで言ってしまった。今では、よう言わんが。いわゆる若気の至りということではある。当時は、A.L.Dexter夫妻や息子さんご夫妻(当時は最初のお子さんが生まれたくらいだった)がおられたので、割と恵まれた教会生活を送らせてもらった。 バプテスマ受けた翌週から日曜学校の担当に きつかったのは、受けた翌週から日曜学校の先生が回ってきたことである。「その前の週まで生徒で済んでいたのに、なんだろうこれは」というのが実際でしたね。まぁ、中学生で教案誌(成長)を買えるほどの経済力があるわけでなく、集会の中にあったフランネルグラフを引きずり出しては、適当に日曜学校もどきをしていた。生徒さんには大変申し訳ない限りである。しんどかったのは、定期試験前である。試験があろうが何があろうが、日曜日はやってくるし、日曜学校はやってくる。最後には、集会の方の御子弟の方のみが生徒さんだったんでうやむやのうちに閉鎖してしまった。 バプテスマを受けたら、日曜学校だけでなく、「司会をしたら」とか、「証をしなさい」とか言われて、なんか高校生のころすでに前でしゃべっていた記憶がある。いたいけな青少年時代があったのである。今では想像がつかないだろうけど。 宇野正美氏の聖書預言に乗ってしまった高校時代 1980年代、宇野正美氏が絶頂期に達する直前に高校生であったので、御多分に漏れず、イスラエル預言にまっしぐらである。当時、「空中携挙」という吉祥寺集会の関係者が書かれた本なども読んでいた。確か京都集会の責任者の方と広島におられた伝道者の方だったかのご紹介文が冒頭部にあったと思う。 それこそ、ユダヤがわかると・・・シリーズの講演があちこちで行われていた時期である。御多分に漏れず、この波に巻き込まれたのか、乗ってしまった。 しかし、このような自己の聖書理解、特に宇野正美氏的な終末論を見直すきっかけに最初にぶつかったのは、オーストラリアからの留学生と英語でしゃべっていた時である。今思えば、彼はアングリカンコミュニオン(英国国教会系、日本では聖公会)の信徒さんだったようである。この預言理解がなんかのついでに話題になり、それは正しい聖書理解といえるのか?と彼から指摘された時のことであった。今にして思えば、彼の方がまともだった可能性が高いのだが、高校生当時の純粋まっすぐ君のことである。あれれ、という段階で止まっていた。 そのうち、大学生時代へと続く |
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