ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

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When I was not Wee!(3)

マクグラスとナウエンとの邂逅そして広がる世界
 ちょうど日本でマクグラスの本が多数紹介されはじめ、科学と聖書理解の問題、討議性、あるいは、世俗の仕事で読み始めたJ.Harbermasの公共圏問題、そしてパットナムのソーシャル・キャピタルの問題、あるいは他分野との対話などの問題を考え始めたころであった。このころに、ナウエンの本などとも出会い、あめんどうの本などと出会ったのが、2008年ごろである。最初に「ナウエンと読む福音書」でナウエンという人の書いたものと出会い、衝撃を受けた。「なんだ、この世界は。なんだ、このじわっとくる温泉みたいな癒される感覚は、集会の聖書理解とかなり違う」ということで、片っ端からナウエンの本を読み、さらに「あめんどう」の本と出会っていった。そして、あめんどうで出版しておられる方々の本を読み漁り始めた。その中で出会ったのが、工藤信夫先生であり、「信仰という名の人間疎外」などを読んだ。その中で、ナウエンの著作やジャン・ヴァニエの著作、ポール・トゥルニエの著作と読む本を広げていった。

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マクグラスの本

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ナウエンとの出会いのきっかけとなったナウエンと読む福音書
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あめんどう の工藤信夫著 トゥルニエを読む


ヤンキー牧師との邂逅
そうこうするうちに、群馬方面のキリスト集会の方が当時運営されていた電子掲示板で、東京方面のキリスト集会のUgoUgoコメント王子がお勧めになっておられた水谷潔氏のブログ「命と性の日記〜日々是命、日々是性」と出会い、同ブログにコメントしているうち(当時は「命と性の日記〜日々是命、日々是性」http://blog.chiisana.org/はコメントできた 初コメントは、2007年8月16日の記事 http://blog.chiisana.org/?eid=473781 この記事に名前の由来がある。)に、というかそのコメント欄で、今もなおお世話になっているというか、遊んでもらっている「のらくら者の日記」のSHさまとバーチャルで知り合うことになった。南の島のコメント王子こと久保木牧師のきらきら探訪〜ゆるりと生きる〜の鹿児島のSK様ともお知り合いになった。「のらくら者の日記」のSH様もコメント欄が閉鎖状態であったし、また、「命と性の日記〜日々是命、日々是性」も割と早い段階でコメント欄が閉鎖されたので、自分のブログで応答することとした。ミーちゃんはーちゃん(サンドラ・ブロックのファンなのでミーちゃんはーちゃんと命名)のブログは、おちゃらけブログとして運営しつつ、SH様や水谷様のブログをリスペクトして、それらの記事をもとにして、応答を自分のブログで勝手にしていた。この時、元KGKの総主事をしておられたY元主事とKGKの皆さんと、SH様との間で、働くことを巡ってのちょっとなんだかななぁの現象が起こったので、そこに乗り込んでいって、加油したのか、消火剤をまいたのかは分らないが、産業社会の変遷とキリスト者の労働観 かなり長い突っ込み!正社員について、再び。またまた、長めの突っ込み。 などの関連記事を書いてわいわいと楽しませてもらった。

 この辺の時期の少し前、若い畏友の一人のNT氏のお知り合いの畏友KH氏がアメリカで理解もされずに一人苦しんでいる、ホームシックもどきになっているのをブログで拝見し、日本食の食材などを突然送り付けて遊ぶ(祈りにより導かれたのだと確信しているが)なんてこともして、知り合いが広がった。

あめんどうの社主のブログで学ぶ

 また、このころ、ナウエンの本を通して、あめんどうの社主HOさまの方のブログにであい、そこで、Christianity Today(断わっておくが、日本の新興キリスト教ネット系メディア クリスチャン・トゥデイとは、まったく別物である)がおすすめする、読んでおくとよい100冊シリーズに出会い、紹介されている書物で、日本語訳が出ているものは日本語訳で、そして、英語しかないもののうち、文化とキリスト教や、歴史とキリスト教とかかわりそうな本を読んでいった。この時期読んでいたのが、リチャード・ニーバーなどの本である。

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カルト被害者との邂逅
 また、当時ブログ友達であった京都のカルト被害者の方のご紹介で、カルト被害対策に積極的に取り組んでおられる京都のHMさんの教会でのカルト研究会にもお邪魔した。さらに、どうぶつ社刊の「悪霊と聖霊の舞台」を読み、沖縄で変質しカルト化たキリスト集会の姿を目にし、あぁ、これはまぁ、このようになるべくしてなったよなぁ、程度は軽いとはいえ、似たようなことは集会でも起きていたよなぁ、と思った。そして、HMさんの教会で行われたカルト研究会で、キリスト集会から影響を受けて沖縄で独自に変質しカルト化したキリスト教会の被害者の方に出会い、その悲惨さには、もう、「ごめんなさい」と個人的に申し上げるしかなかった。

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悪霊と聖霊の舞台


また、このころ、マーク・マリンズという方の「メイド・イン・ジャパンのキリスト教」と出会い、この本の中に「キリスト集会発の独特なキリスト教」がいくつか紹介されていた。そのうちの一つが、「聖霊と悪霊の舞台で」で紹介されていた教会であった。なお、この本は、1940年ごろ当初無教会派とみられていた集会と関連の深い無教会運動についてかなりのページ数を裂いている。このマリンズの本は無教会運動の本が中心なので、集会関係者必携の本というわけではないけれども、英国でのブラザレンムーヴメントが1830年代に発生し、そして日本では1890年代に内村先生の無教会運動が始まっているという点は、非常に印象深い。

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メイド・イン・ジャパンのキリスト教

ブログを通した公共的討議空間
 
そうこうするうちに、「のらくら者の日記」のSHさまがなんと、当時個人的に邦訳書を収集していたマクグラスのお弟子のお一人であることがわかったりした。「のらくら者の日記」の記事が「大和郷にある教会」で取り上げられており、「のらくら者の日記」のSH様が「大和郷にある教会」のTK様と非常に興味深いやり取りを相互のブログでしておられた。まさに、海外の学会論文誌で時々発生する誌上討論のような形であり、なるほど、こういうやり方というか、こういう討論の文化もあるのだ、ということを思った。まさに、ユルゲン・ハーバマスの公共圏の一種が実現し、それを拝見させていただいた。

 SH様の関係で「大和郷にある教会」のTK先生ともネットワーク上のおつながりができた。すると、ここで一気にキリスト教界関係者の皆様へのネットワークが急速に広がる。立川福音自由教会の礼拝メッセージのHT様、Japanese Bible Theology MinistryのMU様、地引網出版のWT様などとのつながりができた。

 その上でNTライト登場である。まぁ、このTK様が、まぁ、NTライトを押しメンというか押し主教として紹介しておられて、その紹介の仕方が面白かったので、すっかり引き込まれてしまった。そして、面白いものには情報をどんどん集めていく(といっても冷静さや批判意識を失わない範囲で)悪い学徒の癖で、ライトの本を読み始めたり、読書会にライブで参加したり、セミナーに参加させてもらうようになった。いまは、Facebook上の読書会で、Simply Christianという本について様々な方がたと御一緒にご討議している。これもまた、ユルゲン・ハーバマスの公共圏の社会実験の参与観察者として、参加している部分もある。

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現在読書会で討議中のN.T.ライトさんのSimply Christian



ミーちゃんはーちゃんのブログで
 ローザンヌ国際会議のケープタウン宣言の形成の様子を「hakkol habel」のNKさまがライブ中継してくださっているブログのがあまりに素晴らしいので、それをご紹介していたら、ご本人のNK様がコメント欄に登場された。そして、この人、ひょっとしてケープタウンのライブ中継している人かなぁ、と悩んでいたら、そのころから愛読していた、アメリカ在住のキリスト教良書の翻訳者のブログ「ミルトスの木かげで」のSN様とのおつながりができた。SN様のところでも、お知り合いが増えたりもした。

 そして、水谷潔氏のブログ関連でのお知り合いもかなり増えていった。まぁ、水谷潔さんのブログネタを広げて勝手に遊んでいるうちに、自分自身が抱えた問題が、キリスト集会の問題というよりは、幅広く米国系の日本全体のキリスト教福音派全体の問題であることを知り、自分もこの問題で苦しんだが、他にも多くの人が苦しんでいることを知ることになる。そして、このブログで、コメントに対応しているうちに視点が急速に広がった。

 インターネットは、私にとってのキリスト教界におけるネットワーク形成ツール、聖書理解に関する様々なキリスト者集団にまつわる地理的情報を収集するツールとも呼ぶべきものであった。昔の地理学者、例えばフンボルト先生とかは、実地に船で陸上を移動し、調査をしておられるが、現在の聖書理解の研究者は、Google のボットを手先に使いながら、資料収集ができるし、ありがたいの「大和郷にある教会」のTK様やら、ご親切にいろいろとご教示、ご相談に乗っていただけるAI様のような方もいてくださるので、ずいぶん楽になった。

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AI様の名著 新約聖書よもやま話
(って名前分っちゃいますね)




When I was not Wee(2)

世俗の仕事で
また、このころ、割と大きな研究補助金の申請について「共同研究者が主になるから、協力を」といわれて、申請した。私個人の担当は、その実務とか、技術的なところをする予定であったが、その共同研究者の方が、「他でも補助金を申請するからと、あなたが主担当で提出してくれ」といわれたので、いやいやそのようにした。そして、その補助金が当たってしまった。その結果、「その共同研究者の方が、あなたが主担当で出したのだから」と丸投げに近い形となり、それをほぼ一人で抱える格好になってしまった。そして、日常の研究生活が激変した。まぁ、この研究補助金の申請主担当を受けさせられた時から、サポート役でも楽ではない仕事であったので、その当時長老であったが、この補助金が当たるかどうかが判明する前に、一時的に長老を退任した。当たったら大惨事だったと今になってみれば、よく決断したと思う。

かなりの金額を頂いた調査研究をまぁ、抑うつと同居しながら、やったようなやらないようなとりあえずやれる範囲のことをして、終えることはできた。そして、いただいた調査研究への補助金で得られたデータを用いて、共著論文を共同研究者の方と書いた(実質7割くらいの作業と論文作成の負担はしたと思う)。この論文は、その学会の方々にとって、面白かったのか、公益社団法人格をお持ちの某学会の学会論文賞を頂戴した。学会論文賞の授賞式には、抑鬱からの回復途上でもあり、まだまだ、人前に出ることはしんどい時期だったので、共同研究者の方に出ていただいた。

なお、この研究補助金を頂いた研究で、ロバート・D. パットナムの『孤独なボウリング Bowling Alone』という今話題のソーシャル・キャピタルあるいは社会的資本ということに目が向いた。そして、パットナムの系譜の研究書をあさりながら、その研究の背景や意義も探ったのは、楽しかった。実は、やっているもう一つのブログで懸案事項になっていることの一つに、このパットナムの研究で考えたこと、ということがあるのだが、それはまだ公開できていない。ただ、この『孤独なボウリング』の最初の方の章に、アメリカの共同体の原型における教会の役割とコミュニティのかかわりとその歴史的変遷の記述がある。是非、教会人にはおすすめしたい本である。

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孤独なボウリング

集会の長老の退任
これに加えて、ちょうどそのころ指導していた学生が、精神的に少し不安定になったのもあって、そのことの対応やらと、ちょっと状況を一人で抱えられなくなり、さらに仕事を抱えられなくなりかけていた。抑鬱状態が発生していた。あまりに様子がおかしいと自分でも思ったので、心療内科に3年ほどお世話になった。心療内科に行った当初は、休職のための診断書を書こうか、と医師がいうほどであったが、まだ、余裕があるとは思ったので、通所と投薬で対応した。

先にも触れたように、仕事が大変になる直前に長老を退任した。この規約にのっとっての退任(特段、問題行動があったわけではないが、個人的な仕事の面を理由とした退任)は、結果的にいくつかの面で良かった。一つは、集会の責任も抱えていたのでは、おそらくもっと状況が悪化したであろうことは想像に難くない。また、この退任によって、集会の長老とか執事の役割は、永続職や終身職でないことを実際の形を通して集会の皆様に示せたようにおもう。何より、私自身が、そういう責任にしがみつく、ということの意味とその副作用を見つめ、長老だの執事だのという、職分そのものを自己の聖書理解の中で、相対化できたからである。その意味で、出処進退をわきまえる、ということの大切さを学んだ。

原理主義関連の研究
 また、911テロとの関連で原始主義関連の文献が日本でそろい始めたのも、この時期である。小原 克博, 中田 考, 手島 勲矢著の「原理主義から世界の動きが見える (PHP新書)」が出たり、その他原理主義関連の書籍が大量に出るようになる。しかし、最近話題になった、当時同志社大学一神教センターにおられた中田考先生がイスラム担当で書いていておられた。
これらの研究成果とカルト研究と合わせていったのがこの時期である。そして、この原理主義研究の中で、J.I.Packerの著作にもう一度出会う。それが、Fundamentalism and the Word of Godである。実は、90年代初頭に買っていたのだが、積読になっていた本である。

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原理主義関連の中で割とよい本

この原理主義研究を進めていくうちに、キリスト教型原理主義に、キリスト集会発の思想というか神学というか聖書理解(別ブログでかなり批判的に扱っているディスペンセイション主義神学)が非常に深く関与していること、そして、このディスペンセイション神学がD.L.Moodyという人物を得ることによって非常に多くのアメリカのキリスト教界の人々に影響していること、Moodyの活動がリバイバル的な側面もあり、アメリカ福音派に、そしてアメリカ全土に一気に広がっていくことを知った。そして、聖歌の編纂者の中田羽後氏の父、中田重治氏にこのMoodyの理解が影響し、中田重治氏は再臨運動(そして、日ユ同祖論につながっていく)ということを日本で起こすなど、日本の福音派にも多大な影響を米国経由で与えていることをこの研究の中で知ることになる。

心揺さぶられた衝撃的な研究成果
 これらの研究成果は自らの信仰の土台をゆすぶられるような実に衝撃的な研究であった。実際に何度も頭を抱えた。衝撃的な事実が出てくるたびに。
しかし、「知らない方がよかったか」と尋ねられたら、「それはない」と答えたい。もし、知らなかったら、無批判に自分が、そして、自分たちだけが正しいと言い募っていたことは容易に想像できるし、特殊な再臨理解や終末理解と聖書そのものの主張と切り離して考えることも、その特殊な終末理解を自己批判的にとらえることもできなかったであろう。

なぜ、この特殊な終末理解が生まれたのか、そして、米国を中心として広がったのか、ということに関しては、今週末ぐらいにこのシリーズのまとめとして、個人的な理解を開陳する予定なので、今しばらく待ってほしい。

このようにいろいろわかってくると、研究者の悪い癖が出てくる。影響したのであれば、その影響範囲を調べたくなるのだ(要するに伝染病の隔離領域の決定と同じである)。そして、福音派とは何か、福音派の神学形成とはいかにして発生したのか、それとディスペンセイション主義の影響とはどのようなものであったか、そして、それ以外のキリスト教のほかの集団と何が違うのか、という視点でより広いキリスト教に関する概念整理、地理情報学の徒でもあるので、地図化した形での整理概念を形成したくなったのである。となると嫌でも、また調査が始まる。

海外でも行ったついでに教会の実地調査
 そして、この時期は、海外学会で発表のようなことをしていた時期でもあるので、結構カリフォルニア州などに出張するような機会が多く、カリフォルニアに行くと、できるだけ違うキリスト教の教会(これは日本ではしにくい)を訪問して、教派的な多様性と教会の特徴を理解することに努めた。

When I Was not Wee!(1)

ブラザレン研究の本格化とブログでの公開
 2005年ごろたまたま関東のN集会のSSさん(お父様がこの業界で知らぬ人がいなかった戦後割と早い時期に転会され、キリスト集会の信徒になって長らく巡回伝道者として奉仕されたYSさんである)がN集会で開催されたらしい集会の歴史を外国人の信徒の方が、まとめた日本語のものがあるからと、A4数ページの講演録(日本語翻訳版)をいただいたりした。この資料をちらちら見ているうちに、「あぁそうだ、持って帰っていた集会の歴史の本があったなぁ」と改めてそれを読み始めた。あるいは、読み始めた本の中で引用があるアメリカの本などで集会成立史に関する本を当時5、6冊Amazonで集め始めた。この時期、勤務先の組織替えで、それまでは徒歩5分のところだったのだが、電車を乗り継いで、50分くらいのところに移転したので、通勤電車の中で読書ができたのも大きかった。

キリストのからだと他の部分との第三種接近遭遇 
幅広い文献の渉猟の開始
 それと同時に、CSルイスなどの本を読み、様々なキリスト教書をまぁ、手当たり次第に読み始めた。これが、文献を探すこと、これは、学問の基礎である。いい本に出合う。その本に引用、参照されている本を読む。そして、考える。整理する。

これは、世俗の仕事でのツールをそのまま聖書理解や集会研究に当てはめただけのことである。なに、そもそも多くの学問体系は聖書理解(神学)の体系化(神学的伝統)の中で出てきた手法であるから、世俗の学問体系の仕事は、方法論的には、聖書理解を進めていく体系(神学)の手法と原理は同じであっただけである。であるから、問題はなかったというだけのことである。

ブログ作成の経緯
 親類のご一家が今いる集会が2007年8月に主催した宿泊研修会に来てくださり、「石濱さんのことを知っている人がいなくなるから、あの面白さは、当時ライブで見た我々が書いて残しておきたいよね」という話になったことで始まったのが、この集会に関する本ブログである。調べてみたら、2007年8月からブログ記事を書き始めている。丁度、キリスト集会の本を3冊くらい英文で読みおわった時期である。
当時、まだ20代であった年齢は私よりかなり若いが尊敬する畏友のNTさんが、すでに同胞組合というサイトを立ち上げておられたが、日本語でのデータも少ないということもあって、信徒の諸集会という伝道出版社の少し問題がある本のベースをもとに書いておられたので、私の調べた範囲は斯様であるということを書くのも、より正確性が上昇すると思ったので、私が理解している集会史を少しずつであるが、公開することにした。

集会においての奉仕

集会では、この時期、現在もいる集会で、将来のことも見据えて、集会としての規約の原案も作成にも取り組んだ。基本的に自分たちの信仰告白(使徒信条が基準)、代表役員(長老・執事)の選出方法、在任期間、信徒の受け入れとその方法論、何を集会の基本的行事(儀式)とするか、信徒と指導者の間の関係性の整理、信徒が指導者ともめたときの対応方法、信徒による指導者の忌避制度(といっても、候補者になることに対して異論を陳べることができる)などかなり細かく定めた。これが、後に、一般社団法人格を取得する際の基礎になったのでよかったと思っている。直接の規約作成の原因は、墓地の使用権取得に個人名義になってしまう問題からである。

ブラザレン史研究の関連図書

この当時一番正確だと思ったのが、CoadのA History of the Brethren Movementであったので、この本を読みながら思ったことをメモのように2007年9月ごろから載せている。今見ても、このCoadは比較的公平に書かれている、と思う。ただ、Coadの本の欠点は、最近の動きがないのと、また、ブラザレン史に重心を置いているため、英国の宗教史や他派の特徴が十分説明されていないということと、集会とそれを取り巻く書籍やその時代の文化などの点で詳細さに欠ける部分がある。
Nathan Delynn Smithの本は、薄いがコンパクトにまとまっており、最初に読むならRoots, Renewal and the Brethrenだと思う。そして、次にCoadを読んだ後、現在この分野の研究者の2大巨頭Tim GrassとNeil Dicksonの著作を読むのがよいのではないか、と思う。このうちの1冊は?といわれたら、まずTim GrassのGathering to His Nameをすすめる。この本がよいのは、これでもか、というほど細部にわたる情報を集めていること、全体に目が行き届いていること、教会史(個別集会史)をまとめることの意味と、その方法論が、著者の経験によってまとめられた部分が、巻末にあるところである。
Dicksonの本は、スコットランドにかなり重心があるのが欠点である。この時期 2007年ごろから、Wipf and Stockのなかで、Studies in the Evangelical History and Thoughtのシリーズが出始めている。このシリーズの中には英国でのこの分野の専門家Neil DicksonとTim GrassによるThe Growth of the Brethren Movement: National and International Experiences  Essays in Honor of Harold H. Rowdon などBrethren関係の良書が多い。

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SmithのRoots,Renewal and Brethren と 最近のStudies in the Evangelical History and Thoughtsの表紙

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Coad の名著 と おすすめのTim GrassのGathering to His Name



When I was Wee (7)

2回目のアメリカ滞在
2002年から、ロサンゼルス近郊に1年ほど滞在しようとした時、ロサンゼルス近郊で集会を探したが、見当たらなかった。その頃は、ネットもある程度は充実してきていたので、Brethren chapelやBible Chapelとかで検索すると、それらしいものがいくつか出てきた。Emmaus Bible Collegeのサイトにアメリカのキリスト集会のリストが当時はあったので、そのうちのいくつかの候補に連絡を取ってみたら、「あなたが住もうとしているところから遠いので、お近くの教会に行ったら」というようなお返事を頂戴した。それほど南カリフォルニアでは、集会は絶滅危惧種であった。さらに調べていく中、すでに、ChapelやAssemblyを名乗らず、すでにCommunity Churchを名乗っておられるロスアンゼルスの教会もあった。困りあげているところ、Wさんというロサンゼルスの近郊でちょっと前まで長老をしていた方が見つかり、連絡を取ったところ、「いやぁ、うちもメンバーが高齢化して日曜日にも、集まらなくなったので、つい1年ほど前に集会を閉鎖し、自分は近所のコミュニティチャーチに通っている。君が住もうとしている地域は多少知識があるから・・・」、ということで、日本で言えば福音自由教会、すなわちThe Evangelical Free のCommunity Churchを紹介された。

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行っていたShoreline Community Church, Santa Barbara

紹介状が要らないの?えぇ?

まぁ、アメリカの教会文化というか教会事情が分からないので、しょうがない、自分で自分の紹介状を英語で書いて、その翻訳までつけて、集会の長老に提出し、長老の方にサインしてもらって、それをもってコミュニティチャーチに行った。そして、初日、その教会のプログラムがはけた後、そのCommunity Churchの牧師に渡したら、一瞥して、「はい、うちはいらないから」とおっしゃって、あっさりご返却。「なにこれ?」になってしまった。

それが、「紹介状というのは、実は集会独自の制度ではないか、なぜ、このような制度があるのか」という疑問が浮かんだ。アメリカにいることをいいことに、Amazonで本を注文しては集会史を調べ上げていくことにした。そして、何冊か本を買った。それらを現地でも読んではいたが、帰った直後は、積読であった。

熱心に研鑽させてもらいました

なお、この200人規模のCommunity Churchでも、毎日曜日以外にもSmall Groupも当時は10個くらいのスモールグループがあり、そのうちの一つ、割と教会のコアに近い人々が形成しているスモールグループに継続して出席し、Small Group活動というものを体験し、その一環として、教会清掃など、Yard Sale(いわゆるバザー)やKids Klub(教会学校)などの手伝いなどをした。「一時滞在の外国人で、その教会でこれまで最も教会に関与した人」とうわさされていたことを帰国間際に聞いた。非常に思い出深い時期でもある。

研修先の大学では、離日前から着手していた金融自由化、1999年のみなと銀行の経営破綻に端を発する金融危機の結果生じた支店の閉鎖問題やアメリカの地理研究における金融機関の支店変遷の研究と金融制度論、アメリカ固有の決済システム問題やATMに関する既存研究の調査や、セミナーなんかを聴講していた。

ヒステリックになっていくアメリカの社会で

しかし、2002年といえば、War on Terrorで対フセイン戦争にアメリカが一気に向かった時期である。この教会でも、「国のためにService(奉仕)している前線の兵士のために(さすがに、その勝利は祈りの中では、言わなかったが)」という祈りがささげられたり、Small Groupのリーダーが、「我らのリーダー(George W. Bush)が毎朝神の前に祈ってから執務を始める。なんと我らのリーダーは素晴らしいではないか」とあけすけな大統領賛美をしておられて、「え、なにこれ、マジですか?」という感じになったのではある。

個人的には当時のダボヤと呼ばれる息子のジョージ君は、Texan(Texas語)が第1言語で、英語が第2言語の大統領ではないかと噂が当時リベラルな東海岸の新聞界隈で絶えなかった。個人的にはあまり好きになれない人物であったので、このスモールグループのリーダーの一人の発言には当惑を覚えた。

そして、小学校の職員室(といっても軽くコーヒーが飲めて、マフィンとか、ベーグルが置いてあって、10時過ぎの中休みに、先生方がベーグルにクリームチーズを塗りたくって朝食として食べておられる先生方が多かったが)で、ちょっとした休憩時間に戦争のことや、「戦争ってどうなん?」ってことが簡単に言えない状況だった。マスコミも無論、戦争反対という感じの論調はなく、昔の近鉄バファローズの打撃チームの「いてまえ打線」ではないが、戦争がほぼ日中流され続けた。そして、それを見ながら、今この国の人々は、憲法修正第1条(The first amendment)をどう考えているのだ、と真剣に思った。それと同時に、911でTwinTowerにむき出しの暴力が向けられたことの衝撃を覚えた。この数十年、米国本土への核戦争に怯えつつも、米国本土が武力攻撃されたことのなかった国民に対して向けられたむき出しの暴力にヒステリー状態なんだなぁ、と外国人としては思った。


ライブで見ていた2003年の開戦の大統領演説


米国NBCによるBushism(ブッシュ大統領の面白発言)

この映像の中で、一番笑ったのは、Human being and Fish co-exist peacefully.  魚と人間は平和裏にすごすことができる。(たぶん平和に共存したら、人間は水死すると思いますが…)

ブッシズムには、Wikipediaの日本語版があった。

ところで、このスモールグループで、「我らのリーダーは祈りで一日を始めるから…」といわれた方は、空軍を将官で退役した後、ロッキードかどこかにお勤めの方だったので、ガテン系の方ではなかったのだが、それでもこの人にとってもこう考えるのだ、とちとびっくりした。普段は非常に温厚な方であり、紳士的な方ではあったのではあるが。

何だ、同じじゃん

なお、このCommunity Churchに参加し、聖書理解的にはほぼ集会と違いがないし、その教会にいることも楽しかったので、他所をあまり回ることなく、そこに結局1年いた。そして、「他のキリスト者も集会とそう違わない、集会とは違うと思っていたのは、思わされていたのは何だったのだろう」と思うようになった。

当時のアメリカの雰囲気

今日は、当時のことを思い起こす画像を何枚か示しておこう。

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こんなステッカーが貼ってある車が結構走っていた

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どこぞの高校では、トラックにはこうすることが求められた

それこそ United We Standというステッカーがバンパーに張られ、Stars and Stripesの旗をつけたトラックが走り回っていたのである。そして、滞在先の学校関係者から、パスポートは常時携帯すること、北欧系の見るからに北欧人がロサンゼルスのダウンタウンで、その訛りから逮捕拘束され、2日後にようやく解放されるなど、苦労するから、と全外国籍関係者を集めたセミナーが開かれたほどであった。5年前の超のんき、脳天気だったアメリカが、一瞬にしてここまで見事に変質するのか、と唖然とした瞬間であった。まさしく、一瞬の情熱で変質する姿を見たのである。最近の別ブログでの記事ではないが、あぁ、リバイバリズムの影響だったのだなぁ、と今になってみればよくわかる。

そして、アメリカが非常に外国人に居心地の悪い中、2004年の夏に日本に戻った。

次回、帰国後キリスト教の幅広いからだとの第3種接近遭遇(古っ!)

When I was Wee(6)

帰国してから後の自派研究の着手
 この被り物(ワシントン州では帽子、日本ではベール)の問題を起点に1998年に日本に帰ってきて、同じキリスト集会でもなぜにかくのごとく差異が生まれるのか、キリスト集会の文化とは何か、という問題を考えて始めることになる。そして、女性の服装が19世紀風であるので、なんか、アーミッシュみたいと思っていたのである。

しかし、アーミッシュと違ったのは、信者さんたちが乗っている乗り物である。何に載っていたかというと、紺色のタウンカー、警察が使用するCrown Vicと呼ばれる車より一回り大きい、Lincoln Continentalとか今でいうLexusとかメルセデスと呼ばれる、鉄の馬から出てくるので、非常に驚いた。ゴージャスなタウンカーという鉄の馬に乗る、テクノ志向のアーミッシュという実に矛盾した感じだったのである。Honda CivicやToyota Camryとかではなく、タウンカーだった。(なお、アメリカでは、乗っている車でその人の年収や社会的クラスがわかる。)
あと、ある家系にだけ見られる、特定のイントネーションでの祈り方があったのだ。特定の節回しで、ある部分は高音で祈られ、突然、低音に向かっていくような祈り方が見られた。祈る声の音程が上がったり、下がったりするような祈り方であった。紙とか、イエスとか、主とかっていう語は突然高音の音程で祈られ、そうでない部分は急激に下がるような祈り方をするご一家がおられた。

最初の手がかりとなった本

「なんで、こうなの?」ってことを理解するためには、歴史を手繰るしかなかった。そこで、Nathan Delynn Smithが1986年に書いておられたRoots, Renewal and the Brethren をAmazonで注文し、2001年ごろから読み始めた。この本の中に、集会の成立過程の略史と関連する諸教派(たとえば、バプティスト、クェーカー、国教会などなど)、集会をやめた人へのインタビューの整理した結果などがまとめてあって、やめた人の行き先としては、バプティストが多いらしい、と書いてあった。「へぇ〜、アメリカだとこういう研究して、こういう本が売れるのだなぁ」と思っているうちに、2回目のアメリカでの研究生活の話が始まる。

このNathan Delynn Smithの本で、実は、John Nelson Darbyの母親は、QuakerあるいはShakerと呼ばれるグループの出らしいことが記載されていた。そして、それは、Darbyの特殊な表現や聖書理解に深く影響していると思われる。まぁ、似たようなことは、John Wesleyでも、同様の影響があったらしいことが、野呂さんという方の「ウェスレーの生涯と神学」に書いてあった。あと、このNathan Delynn Smithの本には、このJohn Nelson Darbyの母親が幼児洗礼を強硬に主張していたらしい。集会では現在では成人洗礼が定着しているが、初期のころは幼児洗礼が行われていたことはある面、面白かった。まぁ、この幼児洗礼というのは、当時は幼児の死亡率が高かったため、幼児洗礼をして教会員に形だけでもなっておかないと、教会墓地への埋葬ができなかったという側面もあるようだ。
後、意外だったのは、この時期の集会の指導者層が、かなり高学歴で、インテリばかり、あるいは余裕がある層ばかりなのである。国教会の司祭、学者、文筆家、医師、企業家が中心である。また、これらの人が憐れみの心にあふれた人が多かったため、弱者救済や都市部の貧困な工場労働者、炭鉱労働者などへの伝道をしていく。そして、しかし、第2世代、第3世代と世代交代していく中で、集会の指導者層がかなり変わったことを知って、あ、そうだったのだ、と思うと同時に英国の厳然たる身分社会(現在もなお身分社会は確実に残っている)を思うと、この辺の社会の指導的役割をする層が英国では限られているということを考えると、集会というのは非常に特異な社会集団なのだなぁ、ということを思うようになる。

長老の言うことには問答無用で絶対服従?
 この自派研究が始まった1998年から2002年にかけて、現在の集会で過ごしたのだが、そこで現在は、他所におられる当時「執事」の方が、クリスマス会を開催方法の問題で、「個人的には異論があるのですが」と申し上げメールでやり取りしていたところ、「集会の責任者にとにかく従うべきである」を名指しはなかったものの公の学びの中でかなり強い語気でご教示してくださったり、「集会の責任者に従えないのか」とご発言があったりしたので、「何でこんなことになるのだろうか?」「何が原因だろうか?」「集会の責任者に何が何でも服従なのだろうか?」「相談や議論の余地がなぜ生まれないのだろうか?」ということを考えるようになった。しかし、その当時は、原因がなぜかは、わからないままであった。後年出会うことになる、工藤信夫さんの「信仰による人間疎外」ではないが、ちょっとした疎外感ぐらいは抱いた。ちなみに、この工藤さんの「信仰による人間疎外」は一読をお勧めする。工藤信夫さんによると、間もなくその続編が出るらしいが。

まぁ、「集会の責任者に何が何でも従うべきである」ということをお話しされた方は、お住まいと集会所在地が遠距離であったことなどや職場の変更などいろいろご事情もあり、現在私が所属する集会には、参加されなくなってしまったが。個人的には、今集会の責任者をしているが、そんなことは思ったことはないし、基本的には、お互い納得するまで対話をすればいいと思っている。納得できなければ、問題になっていることを一度やめてみればいいだけの話であるとも思っている。

遠距離集会への参集への疑念

また、この方を含め、かなり遠距離の方が多くの集会の中でメンバーとしておられる集会は多いと思う。これってどうなのだろうか、と思うのだ。阪神大震災といい、その後来られなくなった執事の方といい、このような遠距離通所型の信仰者の姿をある面当然であると考えるのは、どのような意味を持つのか、鉄道や高速道路の存在を前提にした集会運営ということについても思いを巡らせることになった。のちにこの疑問は、キリスト教会の地域コミュニティ性問題としての再検討という概念とのかかわりへの思惟につながっていく。

ハーバマス研究とシステム理論
 このころ、世俗の仕事の関係で、ミクロ経済学の産業組織論との関係でゲーム理論の文献(まだ理論経済研究には少しは未練があったので勉強していた)や企業組織論とのかかわりで一般システム理論を勉強していた。この一般システム論の研究の中で、ユルゲン・ハーバマスというドイツ人哲学者の日本語訳を読んだのだが、さっぱりわからなかった。必死で読んだ。ハーバマスの翻訳本の日本語が日本語でない感じであったので、この時期は、ハーバマス関連の日本人の学者の方が書いた書籍を読んで過ごしていたり、ハーバマスの英訳を読んで過ごしていた(自慢ではないが、フランス語族なので、ドイツ語は読めない)。ハーバマスは英訳の方がはるかにわかりやすかった。これが現在、キリスト教界でも話題になりかけている公共圏を考える出発点となっている。
そして、このハーバマスとの出会いから、カントなど批判哲学の源流への哲学的思惟を進めていくことにもなった。もちろん、メインの仕事は計算機科学になりかけていたから、そちらの方がメインであったので、哲学研究は関連研究であったので、院生向けの入門書程度を読み漁ることでしかなかったけれども。

被災地支援で、被災地の仮設商業施設(商店街の再建に伴い店舗があっちこっちへとしょっちゅう移転するので)のコンピュータ案内システムなどを作成しながら楽しく過ごさせてもらった。地元紙の産業欄に、かなり大きく報じられたので、同僚からはやっかみ半分の言葉もむけられはした。また、神戸市長田区の被災地のデータ処理のためのシステム化やそれにまつわる作業にも、ちょっとだけ手伝わせてもらった。



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