ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

ブラザレンと福音宣教

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 天幕伝道は、ブラザレンの伝道への情熱の一つの

現われといってよいように思います。ブラザレンを

特徴付けるものは、その伝道の熱心さです。それは

海外伝道においてもそうですし、大英帝国、とりわけ

アイルランド、スコットランドでの伝道の熱心さに

おいて、その傾向は強く見られます。

 ちなみに、もともとスコットランド人の宣教の

熱心さはどうもその民族的な特徴ともいうべきもの

でもあるらしく、スコットランド人宣教師の海外伝

道での貢献には瞠目すべき部分があります。

 ある面、スコットランドとアイルランドは、

大英帝国の中心部であるイングランドからすれば、

周辺部であり、もともと独自の王権や政治体制が

成立していたにもかかわらず、イングランドに軍

事的に制圧された結果、大英帝国の領土として

編入され、政治的、軍事的、経済的に辛酸を

味わってきたという歴史があるようです。私は

英国史の専門家ではありませんが、アイルランド

とスコットランドの貧困とそこでの人口圧力が

大英帝国の植民地支配や海外伝道でのアイルラ

ンド人、スコットランド人の活躍の背景にあると

見ています。

 なお、スコットランド人の伝道熱心さについ

ては、日本人はヨーロッパ人の区別がつかない

ので、非常に分かりにくい映画になってしまっ

ていますが、「炎のランナー」でその状況の

一端が表現されています。

 アイルランドのイングランドによる植民地

支配の結果の貧困は、アイルランド独立運動や

現在も続くIRAの武装テロ、爆弾テロへもつな

がると同時に、アメリカ史にも影響を与えます。

アイルランドの経済的困窮の結果、アメリカに

出て行くアイルランド系住民が非常に増えます。

そして、その多くはあまりスキルの要らない、

夜警(純粋の警察官ではなくパートタイムの警

官へと編入され、最終的には正規の警察官とな

ります)として仕事を見つけていきます。

その結果、東海岸での警察官でのアイルランド

系の人々のシェアは非常に大きいです。あと

警察官には、イタリア系も多いですが。

アイルランドと警察がらみでいうと、トミー・

リー・ジョーンズがいい味出している

「ブローンアウェイ」や ハリソン・フォードと

ブラッド・ピットが出ている「デビル」などと

いう映画はアイルランドとアメリカ国内の警察

との関係の深さを知ることができる映画です。

エド・マクベインのシリーズもアイルランドの

においがぷんぷんしますし。それから、ダイハ

ードのブルース・ウィルスが演じているNY市警

のジョン・マクレーンという名前のマクレーン

はアイルランドを想起させる名前です。

あー、余談ばかりになったので、もう、ここ

らで余談で終りにし、本日もここまでとしま

しょう。

今日から通常メニューの再開です。

 天幕伝道の問題は、風と雨への問題の対応が難しいことです。

イギリスでの一番の問題は、どうも雨だったようです。どっちみ

ちテントですから、基本的に布です。布は雨にぬれると重くなり

たわみますし、風が吹くと巻き上がったり、最悪テント自体が

吹き飛ばされることがあります。これは日本で特にそうです。

 そこで、布テントの改良版として、一時的に利用する組立

式の木製の集会所のキットがいくつか作られ、それを馬車で

運びながら(そうです、馬車です。自動車はまだ普及してい

ないので)、巡回伝道することがあったようです。この木製

の組立式の集会所は当初は窓などが無かったようですが、そ

のうちガラス製の窓なども用意され、だんだん本格的になり、

あちこちで利用されたようです。Tim Grassの本によれば、

第2次世界大戦の直前くらいまで、このような組立式の講演

会用の施設が利用されたようです。

 この木製の組立式簡易講演施設は、大きいものでは、収容

人数は40名程度あったようです。おそらく、この種のものは、

もともと英国陸軍の装備品などから発想を得て製作された

ように思うのですが、私が英国陸軍の歴史に無知なので、確

かなことはいえません。

 第1次世界大戦の蒸気エンジンの戦車だとか、第2次世界大

戦時の水陸両用戦車(これは今なお、イギリス陸軍の伝統に

なっている)とか、イギリス陸軍は、奇抜なアイディアで

勝負している珍兵器をやたらと作っている伝統があるので、

おそらく、こういう組立式の木製の将校用兵舎もそのうちに

あったのではないかなぁ、と思います。

 テントに比べ、組み立て用の木造簡易集会施設は設置に

時間がかかり、設置に約1日程度かかったようですから、

それもあり、1つの村での巡回伝道セッションが1週間とか

長期化していったものと思われます。もちろん、鉄道が

不便なこともあるのでしょうが、それが1週連続の特別

伝道集会というスタイルの定着に一定の影響を与えたも

のと思います。これには、英国国内内の鉄道事情や

アイルランドなどの交通事情が影響しているものと思い

ます。そんなこんなで、伝道といっても、スタイルが

伝道方法に影響を与えたりするのだなぁ、と思います。

日本でも、時々今なお、一週間の連続伝道集会をして

いるところもおありのようです。こちらは、伝統の影

響かもしれませんが。

 天幕伝道のメリットとして、天幕を空き地に建てるだけで目立つ、

ということがあります。日本の現代の都市のようにあちこちで工事が

あるような時代と違って、アイルランドの退屈しきった地方では、

天幕がたつというのは、非常に珍しいこと、その村やその地方にと

って一騒動だったということがあるようです。めったにおきない、

大ニュースだという状況です。

 トールキンの指輪ものがたりの冒頭部分にホビット庄での生活が

描かれていますが、19世紀中葉から20世紀初頭のイギリスや

スカンジナビアの地方部の退屈しきった状況があの部分にも投影

されています。ほとんど非日常の起きない毎日を過ごす農村部の

住民の生活です。そこにガンダルフが登場するだけで子供たちが

喜び勇むという状況が描かれていますが、18世紀中庸から19世紀

初頭にかけてのアイルランドでの巡回伝道師が、外の世界からや

ってきた珍しい人物として子供たちから付きまとわれたように

おもいます。

 似たようなことは、シャーロック・ホームズのシリーズでホー

ムズが地方部に行った時に経験する話とよく似ています。外部の

世界からの人が非常にちやほやされた、特に都会人が地方では

非常にもてはやされるほど、退屈な地方部の姿を見ることがで

きます。

 そのような退屈しきった地方部、特に農村部では、ちょっと

天幕を建てる作業を始めるだけで、特にビラを配る必要もなく、

ファミコンや、WiiやXBoxの無い時代のこと、好奇心旺盛な子供

たちがわんさと集ってきましたし、キャンディー一個あげるだけ

で近郷在所からも子供が集まるという状態だったといえましょう。

また、天幕を建てるのを見たり、手伝ったり(邪魔したり)した

子供たちは、天幕を見たことを得意気に自分の家に帰って両親に

話したり、足跡でされた日曜学校の分かりやすい話を両親に

したり、親に渡すよういって渡されたトラクトをもって帰って

くれるわけですから、トラクトを苦労して配る必要すらなく非常

に手間をかけずに、広告宣伝効果を得ることができたわけです。

 その意味でも、天幕伝道というのは、その時代背景に最も

フィットした、一粒で、何度もおいしい非常に効果的な伝道方法

であったわけです。いい時代だったんだなぁ、とアウトリーチで苦

労している私などは思います。

 ブラザレンの天幕伝道に関しては、以前少し触れたように思

いますが、サーカスとの共通項があるということがあるようです。

Tim Grassもそのことを指摘していました。日本では、空き地が

あまり無いこともあり、サーカスというと、どこかの球場とか、

どこかの大規模な公園を借り切っての公演ということが多いの

ですが、イギリスでは比較的小規模なサーカスによる巡業が

各地にある空き地をちょっと借りるような形で、行われること

が結構あったようです。このあたりは、ヒュー・ロフティング著

井伏鱒二訳(井伏鱒二訳というのがすごい)のドリトル先生の

サーカスでも当時の小規模なサーカス団の様子が伝わってきます。

おそらくオリジナルは1860年代ころだと思われますから、ドリト

ル先生の時代とブラザレンの時代というのはドンぴしゃりかさな

ります。

 つまり、一種の見世物小屋敵な存在として、福音伝道があった

ということなのです。つまり、ショーケースですね。本体の教会

(集会)の建物に招く前のショーケースとして天幕伝道をしていた

ということがあります。

 映画が普及しているわけでもなく、ラジオすら普及しておらず、

ちょっとお金持ちの家では、本を読んだり、詩を読んだり、ピアノ

を家庭演奏するのが理想的な余暇の過ごし方、貧しい世帯では、

雑談をして過ごすか、お父さんたちはパブでビールで酔っ払うか、

という時代背景の中、このような伝道が行われ、退屈しきっている

人たちに分かりやすくて面白い話をする外の世界からやってきた巡

回伝道者の聖書のお話の時間は、当時の人々にとって格好の余暇の

過ごし方になったようです。

日本のブラザレンの教会(キリスト集会)では、野外での天幕伝道に

取り組むところはほとんど無いと思います。もちろん、路傍伝道と

いう道行く人々が聞いている、聞いていないにかかわらず伝道する

スタイルの伝道はいまなお続いていますが。

 昔は、道路でいろんなことをしている人たちが多い(例えば、サン

ドウィッチマン(今はやりのお笑い芸人の方々でではなく、看板を体

に挟んで道を往来しながら、店舗などの宣伝をする個人営業の事業者

の方)や大道芸人(今でいうストリートパフォーマー)、チンドン屋

(中高生の我が家の子供たちは知らないそうですが、集団で和風の吹

奏楽などを流しながら路上で宣伝をする事業者の皆さん)なんかがい

らっしゃって、路上での広告宣伝がごく普通の光景では、路上での福

音伝道やトラクト配布が普通だったようです。

 そういえば、今であればティッシュ配りや労働組合などや失踪人探し

のビラ配りなんかもありますから、それと類似の広報方法といえましょう。

 ところで、なぜ、天幕伝道という一種特殊な伝道方法がとられたかと

いうことについて、Tim Grassの本に面白い記述が出ていました。日本語

訳ではなく、かいつまんでお話しすると、こんな背景があったようです。

 当時、アイルランドで伝道の対象となったのは、カトリック教会の人々

であったようです。カトリック教会では、儀式が中心であり、福音のメッ

セージがわかりやすく語られない(当たり前です。ラテン語で聖餐式の式文

(聖餐式で述べる祈りなど)ができていて、下手をするとラテン語で説教が

された可能性すらあるわけです。これでは、聖書のメッセージが伝わらない、

ということもあり、カトリック信者への分かりやすい伝導を目指したという

ことが、アイルランドであったようです。(最近のカトリックは変わってき

ているようです)JNDとも称される、ダービーは、カトリック信者の福音伝道

と改宗(ブラザレンへの勧誘)をしてきたこともあり、カトリック信者が聖書

に立つ信仰を持つようかなり熱心に伝道したようです。

 このときの最大の障害が、実はカトリックの信者がプロテスタントの教会の

建物に入ることにトラウマがある、あるいは精神的にものすごい抵抗感がある、

という問題だったようです。(カトリック信者が、プロテスタントの教会に入

ると、呪いを受けるという話も語られたようですし、極端な場合、それだけで

棄教とみなされる場合があったようです。今は、それは無いと思いますが)

なので、それの回避措置として、天幕伝道、あるいは路傍伝道という手段がと

られたようです。

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