ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

ブラザレンと福音宣教

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Mutendaさんは、いまザンビアでCRC(Christian Resource Centerクリスチャン活動資源センター)というザンビア人によるザンビア人のための宣教支援団体の代表をしておられるのですが、パワーポイントのスライドを使いながら、彼らの働きについても話してくれました。おもに、ザンビア人宣教師の活動支援物資(自転車とかテント類など)の支給・聖書学校での教育・結婚へのコンサルティングなどをしているという話がありました。

面白かったのは、まず、宣教師に渡しているものでした。基本キットは、蚊帳、寝袋、テントだそうです。野口英世やリビングストン時代から変わらず、マラリアの問題は今尚被害がひどいらしく、カヤはどうも必需品のようです。それから、移動手段としては、自転車だそうです。結局、遠く離れた村々に伝道するためには、一番早いのが自転車らしく、自転車伝道が主流だそうです。丁度、大正期から昭和初期の日本での伝道みたいな感じでしょうか。バスは非常に不便らしく、自転車が一番良いそうです。
 自動車は、運転できる人が限られること、たぶん石油が高いこと、修理費と維持費が高くつくことから、伝道者の大半はあまり使っていないようです。最近、トヨタのトラック(多分日本名ダイナの1.5トン車)を伝道者への自転車や印刷物配送用に手に入れたことや、現在、Mutendaさんたち自体は、日本のハイエースの中古車を利用していることなんかが話しに上りました。世界各国にいっても使えて、故障しにくい日本車ということを改めて感じました。基本、他のアフリカ諸国と同じように、ザンビアの車は日本の中古車の再利用車が大半を占めるようです。

 それから、CRCでの出版事業なんかの説明があり、海外のブラザレンの出版社Eveyday Publications(Canada)やHope of Trust(スコットランド)が、本を無償で寄付してくれたり、現地語での出版経費なんかも出している旨の話がありました。

来られた伝道者の略歴は、次のようなものです。去年のバミューダでのブラザレンの海外伝道カンファレンスから取ってきたものの翻訳です。オリジナルはこちら。

http://www.bermudamissions.com/v2/index.php?cat=2&subcat=13&presenterID=33

ザンビア共和国のプリマス・ブラザレンの指導的役割を果たす巡回伝道者・教役者。

チンゴラ州のチコラ中等学校在学中にイエスキリストを個人的な救い主として受け入れる。中央アフリカの聖書学校で、1年を過ごし、1975年にキトウィのザンビア林業短大で、林業を学ぶ。その後数年を公務員として過ごし、1982年からチンゴラ州チウェンパラ・クリスチャン・ブラザレン集会とカボンポ州のロロ・ゴスペル・ホールによって、妻ゲータルードとともに専心伝道者として推薦を受ける。その後、1982年から1988年までの6年間、チンゴラ州ムセンガで、クリスチャン文献出版(Christian Literature Press)で勤務。1989年に、妻とともに英国に留学。Wales Evangelical School of Theology ウェールズ福音神学校(ウェールズ大学University of Walesと共同で学位を授与する神学校)からアメリカ及びイギリスの映像を利用した伝道のあり方についての研究により、修士号取得。

で、今回の彼の話で、重要なポイントだったと思ったのは、オイルマネーを背景にしたムスリムの伝道活動の活発化ということです。従来、サハラ以北のムスリム系住民の多いアフリカでの活動と、海の通商を基礎としたと思われるアフリカ東岸でのムスリムの活動が出てきているのに加え、内陸部でも、ムスリムの伝道が活発化していることは、面白いことだと思います。ムスリムは、貧者への喜捨というのか、貧者への対応がかなり配慮されることもあり、貧しい階層が今なお多い地区では、かなりの影響力を持っていると思われます。

で、彼の話では、帝国主義時代に多くの宣教師たちが福音を伝えるためにやってきたという歴史を離していました。そういう意味で言うと、アフリカでの福音宣教は植民地支配と一緒にやってきた、ということができそうです。

ブラザレンの信者が最初にやってきたのは、1898年で、110年の歴史があることを話してもらいました。最初の頃は、海外から来た宣教師によって行われ、近年は、ザンビア国民の中から伝道者が起こされてきているとは言うものの、ザンビア人の伝道者は、福音宣教者という側面が強く、学びができる人が極めて限られ、学びができる兄弟は、ホワイトカラーの専門家(医師、弁護士、技術者)という英語がしゃべれる高等教育を受けた人物に限られること、収入を捨てて、宣教活動に移ることの困難性があるため、聖書のきちんとした学びができるザンビア人の宣教師が非常に少ないことが触れられていました。ザンビアの地元言語で集まっている集会では、福音宣教はできても、聖書の学びは非常に困難だ、という話がありました。
現在の若い層では、大学に行く人も増えてはいるものの、そこでは英語で教育がされるために、大卒者が集まる集会は、どうしても英語をしゃべる人たちの集会になってしまうこと。そこに聖書の学びができる人たちが、英語をしゃべる人たちに偏っているという話もありました。教育、というのは大きいのだなぁ、と思いました。

この辺の話を聞いたときに、植民地福音宣教の問題を考えさせられました。要するに、国民が2重に分けられ、英語をしゃべる人たちと、そうでない地元の生活をする2つの国民の層ができてしまうのだ、それが植民地支配を受けた国の今なお続く現実なのだ、ということを。

最初は、ご自分の証とご自分達の働きに至る過程の話、現実にどのような働きをしているのか、というをしておられました。


そして、アフリカの宗教分布がサハラ以北ではイスラム圏、サハラ以南(サブサハラ)では、旧宗主国の関係もあり、キリスト教が主流派であること、アラブがオイルマネーを背景にしながら、ムスリムの信仰をサブサハラ地方でも伝道していることなんかのお話がありました。

ザンビアのブラザレンは、スコットランドのブラザレンの伝道により始まり、欧米の宣教団体に依存する形で、110年間伝道が行われてきたこと。そのなかで、外国の宣教師や宣教団体に依存する形で福音が伝えられてきた、ということが語られました。日本のブラザレンと違うのは、ザンビアのブラザレンでは、英語をしゃべるブラザレン集会では、英語が読めることにより、聖書を解説した注解書や聖書関係の本を読むことができるため、学びをすることができるものの、英語をしゃべらないブラザレンの集会では、福音は語れるものの、十分な学びができない、という問題があることなどが話されました。
 この辺は、ポストコロニアルの福音宣教をどう考えるのか、ということを感じました。この辺についても、突っ込んで聞いているのですが、今日は時間が大分遅くなったので、続きは今週末にかけて書いていきたいと思います。

ブラザレンにとって、福音宣教への熱心さは最大の長所であり、もっとも大切にすべき美点、またその運動の出発点といってよいと思います。

しかし、その熱心さを外部の方に伝える方法が非常に限られる中、また、地域集会(地域教会)の独立性が強い中、また全国組織を明示的に持たない中、どのようにそれを広く一般の人に伝えていくのか、という問題に直面しているように思います。

おそらく、残された方法は、個人伝道しかないのかな、と思います。個人で、自分の生き方を、自分のクリスチャンとしての行き方を伝えていく中で、神がいる、その個人の人生の大きな価値となっているということを愚直にことあるごとの断面で、伝えていくことが現在のところ、残された方法だと思います。

多元的価値観が支配する文化や社会観の中に生きざるを得ない現代の社会において、自らの主張を述べる自由がある反面、それが他とどのように違うのか、をどの程度明確にここ個人の信仰者が示せるのか、という問題が大きく問われているように思います。まぁ、これはブラザレンが、ずっとしてきたことなので、それほど大変なことではないとは思いますが、相手の価値観を尊重しつつ、相手の言動を理解しつつ、地道に説得していく作業ということが、これからのブラザレンにとって、求められていくのではないかと思います。その意味で、従来の講解説教や講演に近い一方的な話を伝達するスタイルでない福音宣教のあり方を試してみる価値がある時代になりつつあるのかな、と思います。

社会の多忙化、価値観の多様化、余暇時間の過ごし方の変化に伴って、従来型のメディアでの福音宣教の方法の展開方法が少なくなっていることは確かです。

というのは、日本社会のように、多様な宗教団体が乱立し、ほとんど似たような主張が、その信仰対象は別であるとしても、述べられ、さらに一般向けに似たような概念についてのメッセージが語られ、ほとんど似たような印刷物の各戸配布や、街頭での伝道活動などの布教活動(宣教活動)がとられる中で、実際の一般の方々にとっては、ほとんど大きな違いがないように見えてしまう、区別がつかないというのが現実の姿ではないかと思います。

となった時に、どのような福音宣教といえば大げさですが、どのような形でどのような人に、どのように聖書が伝えようとするメッセージを述べようとするのか、ということが重要になるのかなぁ、と思います。

特に、自治体や企業が行う講演会が、人が集まらなくて苦労する中、現実的に目に見える形の利益をかたるというわけではない、福音伝道の何かの打開策が必要なのかなぁ、と思います。とは言え、ことばのおろかさを通して語るしか方法がないのは、そのとおりだけにどのように考えればよいのか、当事者の一人として、時に考え込んでしまいます。

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