ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

高学歴化する社会とブラザレン

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高学歴化した社会の中で、ブラザレンは従来の伝道の方法、愚直に聖書のことばとその解釈を述べていくという方法で伝道してきました。福音の自体は、時代を経ても変化しないわけですし、人間性もそんなに変わるわけではないので、この方法は有効性は確実なものとしてあるものと思います。

ブラザレンの福音を伝える機会(伝道集会やコーヒーアワー、ファミリーアワーなどと呼ばれることが多いです)では、福音を伝える時に、いきなり福音書をよんで、その解釈から入る、という場合も少なくありませんが、一般には、個人の経験や体験談が導入として用いられることが多いわけです。そこでの導入に用いられるイントロダクションの部分が、聞く方にとっては意外と重要であることは多いといえます。

この部分で、高学歴化した社会における多くの人たちに共感できるイントロダクションであれば、その後の話は比較的聞いてもらいやすい場合が多いですし、そうでない場合は、その段階で人々の心のドアが閉まってしまうこともあるので、意外と重要だったりするように思います。

この辺のプレゼンテーションのあり方をどう考えるか、というところはテクニックだけではない部分があるので、語り手としては十分心を砕く必要があるのかなぁ、と思います。どこに行ってもセミナー・講演会に参加する(させられる)機会が多い現代の社会において、一般の聞き手はどうしてもプレゼンテーションのあり方と比較してしまうので、どのようにこの問題に取り組むかは、重要になり始めているように思います。

とはいえ、一番大事なのは、イントロダクションの質よりも、本論である福音であることはいうまでもありませんが。

ブラザレン自体、普通の市民というのか庶民というのか、大衆が教会運営の中心をになって行くという運動ということであったわけです。

出発点において、教会運営から阻害されていた庶民や大衆、普通の人々が教会運営の中心を担う、ということは、非常に画期的だった訳です。その分自由度もあり、その分活気もあり、非常に民主的な運営形態が志向されたわけです。

庶民が教会の中心を担う中で、最初の段階では、元国教会の牧師やさまざまな教会の牧師、神学部の出身者が責任者となり、中心的な役割を果たして行きましたが、ブラザレン自体、学問としての神学は無用であり、神学部で学ぶことは、問題であるという立場がとらたこともあり、第2世代以降では、基本的な神学教育を受けることなく、聖書のみのモットーのもと、聖書と教会と職場の中だけでの経験とを通して教会運営にあたることになります。

その中で、アメリカやイギリスの教会では、すべての集会がそうだとは言いませんが、職場で管理的な立場や経験のない方が教会の責任者(長老など)の立場につくことがあったようです。高学歴者は、教会運営の経験は少なくとも、企業やさまざまの組織の中で管理や運営者の責任ある立場につくことも少なくなく、組織管理や運営の経験と研修機会のない方が教会の責任者である場合、信仰を持つことでの問題はないものの、ブラザレンの教会経験が長くなれば長くなるほど、高学歴者は教会運営能力が十分でない責任者が年齢が多いからという理由だけで、その地位を占めている場合、その責任者に失望する経験があるということが、Nathan Delynn SmithのRoots, Renewal and the Brethren, Hope Pub Houseにインタビュー付で書かれています。

もちろん、世の中の価値観や手法を教会に持ち込めば、それで問題解決ということにならないことは当たり前ですが、次の世代を支える牧会者をどう育てていくのか、牧会の任に当たる責任者をどう育てていくのか、経験だけと思われないような牧会者の育成手法を含め、検討していくことが重要ではないかと、思う今日この頃です。

Nathan Delynn SmithのRoots, Renewal and the Brethren, Hope Pub Houseには、アメリカ西海岸のブラザレンの例を中心にブラザレンが現代社会に適応していくために考えるべきヒントがいくつかかかれています。

アメリカで起きたことが日本で起きるとは限りませんが、日本でも同様のことが起こる可能性は少なくないと思います。アメリカでも1950年代以降、高学歴化し始め、社会全体に占める大学卒業者の割合が急速に増しています。

もちろん、本人の能力と学歴は必ずしも比例しませんし、本人の持つ教養と学歴も必ず比例はしないのですが、ただ、高学歴の層は、その学歴と学習機会の長期化に比例して、本来それだけ知的な蓄積も多いはずですし物事の見方や考え方、さまざまのあり方もそれなりの洗練を求める姿勢が見られることも多いことになります(ということは必ずそうとも限らない場合がありますが)。

この中で、昔ながらのブラザレンの考え方の点から聖書を読んでいくこと、また、昔ながらの聖書や自分の経験談に基づき、単純で誰にとってもわかりやすい福音宣教のあり方を継続的に続けることがよい、真理は変わらないのだから、ということで、昔ながらのあり方を続けることをよしとする長老執事(責任者、あるいは牧師に近い働きをする人々)のあり方が、現代の社会で増加してきた高学歴の人たちとの考え方と齟齬を起こしていることも少なくないようです。昔ながらの単純で誰にとってもわかりやすいことは、幼稚に見えることもあるので、その辺の問題でしょう。

この問題は、福音宣教の中身は変わらないとしても、それをどのように人々に提示するかの意識の違いが問題となる場合があるようです。

1980年代以降、大学入学の定員枠が広がり、短大、女子大の4年制共学大学への変更が私立大学を中心として行われる中、大学というものであれば、その難易度と内容と学費の問題さえ問わなければ、大学という名前のついた組織に入学しやすくなったことは確かです。

私立大学では、経営難に陥る一部の大学や、定員割れの問題や定員水増しの問題を抱える大学を抱えるなど、産業組織論的なものの見方をすれば、大学が直面していた環境がここ数年大きく変わっています。その状況に一部の大学が対応した結果、専門学校、専修学校を経て、大学に編入ができるなど、大学入学の道も非常に多様化して来ました。

それと同時に、大学に行くことがそれほど特殊なことでなくなると同時に、ある意味で、日本社会も高等教育機関が増え、高等教育機関で教育を受けることが当たり前になり、大学という高等教育機関でまともな教育を受けているかどうかは別として、大学卒というタイトル(一種の資格)を得ている人が大幅に増えたわけです。

しかし、ブラザレンは、1970年代まで、大学教育にかなり否定的でした。もちろん、その当時は高度経済成長期とはいえ、まだまだ社会全体が貧しかったこと、社会全体が高等教育を受けていないことが当たり前という時代でしたから、ある面当たり前だったわけです。

これに加えて、スコットランドの炭鉱社会とブラザレンのところで触れたように、ブラザレンの個々の教会の中で発言権の強いのは、信仰経験の長い年長の信者(長老とか、代表者、伝道者という役職にあることが多い)で、昔のことですから徒弟制度の中で育てられ、高等教育を受けていない信者の割合も昔は相対的に高いこともあったので、高等教育の必要性を理解されない方も少なからずおられたようです。このあたりのことは、Nathan Delynn Smithというアメリカのブラザレンの伝道者の書いたRoots, Renewal and the Brethren, , Hope Pub Houseにインタビューつきででています。これからぼちぼち、このあたりのことをご紹介してみたいと思います。

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