ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

ブラザレンと儀式

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 ブラザレンの結婚式の一般的なプログラムは、次のような感じでしょうか。まず、結婚式そのものと披露宴に分かれるところは、基本的に他の結婚式と同じ。

 ただ、特徴的なのは、ブラザレンの結婚式に参加する人は披露宴だけの参加はあまり望ましいとされず、結婚式自体にもできるだけたくさんの人を呼ぶ傾向にあります。明治期に始まった神道式などの結婚式が両家のみの関係者で行われる割と古い形の結婚式の風情を残すのに比べ、ブラザレンの結婚式というよりはキリスト教式の結婚式は、まだ神を知らない人々に結婚式という名目を通じて、神を伝えようとする伝道の機会として捉える部分があり、かなり積極的に多くの人を招き、そして結婚式自体に参加してもらうような形を取ります。人にもよりますが、結婚についての話よりも、福音の話が長い司式者(通常の教会だと、牧師の役目)の方も時に出現します。

結婚式自体の式次第としては、

 開式の宣言
 新婦入場
 賛美
 祈り
 誓約
 指輪交換・婚姻届への署名(オプションで省略されることもあり)
 聖書から(内容は結婚と聖書+福音メッセージ)
 祝福の祈り
 賛美
 新郎新婦退場
 式終了の宣言と披露宴の案内

といったところでしょうか。

披露宴の式次第としては、
 開式の宣言
 新郎新婦入場
 祈り
 食事
 来賓挨拶
 (余興:以前はなかったが最近増えてきた。ない場合もあり)
 祈り
 新郎新婦挨拶
 (家族への花束贈呈:以前はなかったが最近は増えてきた。ない場合もあり)
 閉式の宣言

といった感じでしょうか。

 以前は、ほとんど勘当同然で信者になった方が多かったので、家族の余興やら来賓挨拶なんかもなかった事例もあります。また、食事がサンドイッチだけだったりしたら、余興も興ざめになってしまうでしょうし。来賓挨拶はさておき、式場側の料理の準備のための間を持たせるための余興や友人挨拶という側面のもあるので、そのあたりは適当に省略したりされることもあります。

 それから、ブラザレンの信徒の結婚式の場合、余興は極端に少ない場合が多いです。というのは、どうしても日本の通常の結婚式の場合、スピーチの場合ですら、若干性的な表現を暗示的に示するようなスピーチも少なくなく(最近は減ってきましたが)、結婚式の披露宴は無礼講的な側面もあるので、余興の内容は、それがなお強くなりやすく、信者の倫理的なコードと抵触する場合が多いからだと思われます。

 1980年代に入り、バブル経済で経済活動が活性化していった結果、特に1980年代中期以降、それに比例して日本の一般の結婚式も派手になっていきます。この時期から、ブラザレンの信者の結婚式もホテルで行うような事例が増えてきました。それだけ、ホテルで結婚式というスタイルが定着していったのだろうと思います。

 1990年代以降は、ホテルや宿泊施設が併設された公的な会館で結婚式をするのが一般的になっているように思います。ある面で、1970年代までに建設された市民会館などの公的な施設がなかなかリノベーションされたり、手がなかなか入れられなくなる中、結婚式場としてのこれらの施設の魅力度が減少してきたこともあろうかと思います。

 1980年代中期以降のホテルでの結婚式が増えてきた背景には、交通手段が発展して、日本国中比較的短時間で移動できるようになったこともあり、より広い範囲からの出席者が集まることが普通になったため、宿泊場所を別に探さなくてもよいホテルでの結婚式へのつながっていく要因のひとつだろうと思います。

 ホテルや公的な会館で結婚式をする場合、たいていの場合、そこのホテルがパックで予定しているスタイルに若干の変更を加えるみたいな形でしか結婚式を挙げていくことになる、といったところがあります。パックを変更して会議室を借りたりすると、それだけで費用がかかります。とはいえ、ホテルが提供するパックを利用した場合、集会の独自性を主張することが結構負担になったりする場合もあるようです。

 特に、結婚式場併設型のホテルだったりして、ホテルのチャペルを使うとなると、チャペルには十字架がついていたり、それがはずせなかったりだの、結構損な小さなことが問題になることも少なくないようです。

 ブラザレンの結婚式が、従来の集会(教会)から公民館などに移動したのは、日本人の結婚式の理解の変化に伴うものだと思います。

 1950年代までは、基本的に結婚式は、家族のものでした。要するに、お嫁さんを家族に受け入れるのが、その当時の結婚式で強く意識されたことです。なお、この意識は、明治以降に確立されたものらしく、正確には伝統とは言い切れないようです。

 その意味で、1950年代までのキリスト集会での結婚式の参加者は、せいぜい新郎、新婦の家族だけで行うのが通例だったようです(限られた伝聞情報に基づきます)。また、まだまだ、日本が貧しい時期でもありましたから、ど派手な結婚式が実施されていたわけでもなく、ちょっと豪華な料理が出る程度、というのが普通だったと思われます。まぁ、1950年代ごろからは、東京とか大阪への大都市の人口集中が始まっているものの、現在ほど地域間人口流動なんかが余りありませんから、新郎、新婦とも電車で日帰りの範囲の信者さん同士の場合が大半だったと思います。

 それに、1950年代当時は、キリスト教=耶蘇(今ではほとんど聞かなくなった差別的な意味合いを用いて使われたキリストの信徒をさす言葉)ですから、家族との関係を切ってまで信仰を持った信者さんが多いので(家族との関係が断絶したことが適切であったかどうかは、ちょっと疑問ですが)、参加者がそもそも少なかった、というのもあるかもしれません。

 1960年代に入り、高度経済成長が進められ、第1次ベビーブーマーたちが結婚適齢期を迎えていく中、地方財政もある程度余裕があった時代、また、東西冷戦の中、福祉国家が理想とされ、政党の種別に関係なく、地方自治体でも市民のための政策を打ち出す首長が続出する中(国政でも、ほとんど当時は差がなかったといってよいと思います)、各地で社会教育行政として、公民館、市民会館などが整備され、巨大なホールの建設や、結婚式場として使える公的会館が各地に建設されていったということもブラザレンの信者が、公的施設で結婚式を挙げるということの要因にもなったのだろうと思います。それも、結婚式に招く人が増えていく中で、参加人数が次第に増えてきたこともあるのだろうと思います。

 1970年代に入り、高度経済成長がさらに拡大し、それに比例する形で日本の中での結婚式もお金がかかるようになって来ました。この頃から、結婚式場での結婚式スタイルが定着して行ったものと思います。しかし、質実剛健を旨とすることから、この段階でも、市民会館などでの公的施設での結婚式が継続されて行われたように思います。ホテルでの結婚式が一般でも始まったのがこの時期だろうと思います。

続きます。

 1980年代から、結婚式と披露宴を信者向けとその他向けですることは大変だったりすることもあり、また、集会(教会)にしても、一定数の信者が増えてきたこともあり、キリスト集会での結婚式が減ってきました。

 未信者に福音を語る機会、証をする機会だ、ということで結婚式場(といっても80年代は市民会館など、公的、半公的な施設が中心)などで結婚式をするようになりました。なお、未信者とは、Unbelieversの訳語だと思います。未信者とは、イエスと個人的な関係を見出していない人、イエスにこれまでの人生の期間、無関心で来た人のことです。でも未信者って、へんな言い方ですよね、内部では、よく用いられることばだとは、個人的に思います。未信者に福音を語るという位置づけが与えられてきたことに伴い、遠方から来る親類縁者(多くの場合、大半がいわゆる未信者)にサンドイッチだけでは、と言うこともあり、結婚式と披露宴もそれなりの形を取るようになりました。両方ともの家族が全員クリスチャンであれば、結婚式と披露宴もごく質素に、というパターンもあったようですが、家族やお招きする方々との関係もあり、それなりの結婚式と披露宴のスタイルがとられることが多くなったようです。

 90年代以降は、ホテルがビジネスとしての結婚式を執り行うようになり、ホテルなどを利用し、そこでの結婚式プランにのっとった結婚式もかなり増えてきたように思います。別に、そうしたらいけない、ということではないんですが、質実剛健を旨とするブラザレンの精神にどこか引っかかるのか、なかなか普及するまでに時間がかかったようです。どうしても、ホテルでの式は派手になりがちなのと、集会の考えに沿った式をしにくい場合なんかも多いので、いろいろ様々な結婚式のあり方が模索されています。

 その意味で、結婚式が開かれたような主な場所としては、多い順に
1960年代まで キリスト集会(教会)
1970年代   公民館、市民会館 または キリスト集会
1980年代   公民館、市民会館、ホテル または キリスト集会
1990年代以降 ホテル、公民館、市民会館 または キリスト集会
となっていったように思います。

 ちなみに、私は、1990年代の前半に結婚式をしましたが、自治体の会館を借りてしました。披露宴は、その後近所の中華料理屋さんに参加者の方に移動していただき、そこでしました。遠方から親族が来ていたり、上司に当たる方々をお招きしていたので、披露宴をせざるを得なくなりました。

 現在、かなりの結婚式を担当していると思われるいわゆる冠婚葬祭を専門に事業をしている事業者経営の結婚式場で結婚式をおこなうブラザレンの信徒は、少ないと思います。これは、擬似宗教色が強いこと、自分達の考えを説明して、式場側の持ってくるプランへの変更を加えることが面倒であることもあるのだと思います。

 最近、私の身の回りで結婚式が多い(10月11月で3件 うち2件は、教会関係以外)ので、結婚式についても触れておこうかと思います。

 私が最初にブラザレンの集会に母に手を引かれながら(半分引っ張られながら)行き始めたのが、約40年前(当時5歳児だったかな)でした。そのころに印象に残った出来事の一つに結婚式がありました。ある方の結婚式が、当時母が属していた神戸の教会(集会)で開催されたのですが、その日と同じ日に親類(おば)の結婚式があって、その日結婚式のはしごをした日の印象です。結婚式の披露宴が非常に簡素だったことでものすごい対比があったので、強烈な印象として残ったことを思い出します。

 確か私が最初に意識して参加した教会の結婚式だとおもいます。その結婚式には、信者の子供だったこともあり、枯れ木も山の賑わいで参加させてもらいました。別室に披露宴の容易がされていたのですが、披露宴といっても、サンドイッチと紅茶だけ、という披露宴でした。簡素な披露宴でした。多分、そのときご結婚された方々が結婚式と披露宴をしたのは、聖公会立の学校であった、St Andrewsという日本放送協会神戸支局の近くにある学校だったと記憶しています。

 ほとんどいつもおなかが減っていた肥満児(当時:今もだという話もありますが)の私は、その教会の結婚式で出されていたサンドイッチを食べたいと主張しましたが、直後に次の親類の結婚式に行くから、という理由でパスさせられた様な記憶が残っています。しかし、70年代の親類の結婚式の披露宴(今からすれば、それでも質素なほうに属すると思いますが)に比べ、この簡素さは、一体何?という印象を持ったです。この結婚式をはしごした時期は、多分1970年代最初のころだったです。

 しかし、何より、印象に残ったのは、集会の関係者だけで、サンドイッチと紅茶だけで披露宴が成立していた、ということが、結構印象的な出来事として残っています。それほど、印象的だったのでしょう。

 この時代は、教会向け結婚式と、家族向け披露宴が別個に開かれた場合もごくまれにあった、ということを聞いたことがあります。この辺、責任者として直接運営に携わっていないので、よく分からないですけれども。

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