ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

ブラザレンと儀式

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 幼児洗礼は、日本のブラザレンでは実施していないのですが、ヘンリー・ナウエンの「差し伸べられる手」三俣 元訳 女子パウロ会 105−106ページに次のような表現があります。

 『教会はおそらく自分の近い家族ではないが、大きな家族の一員だと思える人々に会える残り少ない場所の一つだろう。子供と一緒に外に出て、洗礼を受けさせに教会へ連れて行くことは、少なくとも生まれた子供が恐れることなく育ち熟成できる自由な空間を提供してくれる、家族よりも大きい共同体を思い出すための重要なよすがなのだ。』

 幼児洗礼に関しては、私個人としては非常に否定的なのですが、新しく生まれた子供をキリスト教会という共同体の中に受け入れる儀式と思ってしまえば、なるほどねぇ、とおもいました。

 家族での信仰の継承を考える時、信仰を個人の問題として捉えるのではなく、子供たちをどう集会(教会)に受け入れていく方法を考えないといけないのかなぁ、と思います。

 そもそも、バプテスマはイエスの死と復活につながることを形としてあらわすことは、イエスとの共同体を形成したことを表す儀式でもあることを考えると、やはり共同体ということとバプテスマとの関係を個人的にはもう少し考えようかなぁ、と思いました。

 一応、バプテスマについてはここらで一休みしようと思います。

 都市部では、生活習慣の西洋化が進み、結婚式がキリスト教式(まぁ、これもキリスト教式というところが大爆笑の結婚式ですねぇ。擬似キリスト教式といったほうがいいかもしれませんが)で行われるために、洗礼を受けることに対するある信者とその家族との対立という構図は、以前に比べると少なくなってきていることは確かです。

 とはいえ、日本は、家族共同体社会なので、お墓のお守りとか、仏壇のお守りとかが重要だったりします。なので、バプテスマを受けると、そのお墓とか仏壇とかの対応ができなくなるではないか、ということで、対立がおきることがあります。現在でも、地方部、伝統的な社会規範が残っている地域では、この問題は結構深刻で、バプテスマを本人が希望しても、なかなか前に進まないことがあります。家族の紐帯を切ってもらってまで、バプテスマを薦めるかどうか、というのは、悩ましいところだと思います。

 個人的には、時間をかけて家族を説得されたらいかがですか、という場合と、若い人の場合、家族には事後承諾をとられたら、という場合など、いろいろあります。個人的には、まず、家族を説得してもらうようにお勧めしたいと思っています。

 この辺、やはり、キリスト教文化がこの150年ほどの間にじっくりと浸透してきはじめてはいるとはいいながらも、まだまだ、日本では、キリスト教は未だに新興宗教なんだなぁ、と感じます。

 ブラザレンは、再洗礼派、と分類されることが多いですが、再洗礼という用語は、乳幼児洗礼を前提とし、成人してから個人の信仰自覚により再度、洗礼を受けるという儀式上の点から来ているとおもいます。しかし、実際には、ブラザレンの教会では一回だけ(のことが多い)なので、厳密な意味での再洗礼派ではありません。いわば、成人洗礼派あるいは、個人自覚型洗礼派と行ったほうがいいかもしれません。

 現代の近代国家であれば、もともとは戦争遂行のため、戸籍や出生・死亡の管理をすることは国家の役割となっていったのですが、近代国家に移行するまでは、出生死亡を唯一公的に管理していたのは、世俗の政治体制ではなく、永続性のある宗教組織であることは、西ヨーロッパでも、日本でも同じようです。戸籍制度や出生・死亡の管理は、基本的に戦争時の動員体制の確立というために必要だった、ということを思うと、複雑な気持ちがします。

 それから、自由福音教会の自由というのは、国家制度としての教会制度ではなく、国家という政治体制から自由という意味なのですが、日本では、国家制度として定義された教会という経験が無いので、あまり意識することは無いとは思いますが、国家制度から自由であるということは、信仰を考える上で、重要な意味を持っているような気がします。

 日本に入ってきてからのブラザレンは、西洋の歴史や伝統、文化とは独立に活動をはじめましたので、幼児洗礼の問題とは、独立の行動ができたので、幼児洗礼の問題に直面することはありませんでした。

 しかし、イギリスでは、ブラザレン成立し始めたころ(自分たちで墓地を持つまで)ブラザレンでも幼児洗礼がされていたことが、Roots, Renewal and the Brethren, Nathan Delynn Smith(1986)に記されています。

 この背景には、当時の高い乳幼児死亡率があるようです。出生や死亡等の管理という点で、教会が社会の根幹を握っていた西洋社会では、バプテスマを受けていない以上、乳幼児であっても、異教徒扱いです。原則、乳幼児であっても、バプテスマを受けていない異教徒(まぁ、変な表現ですが)を教会の墓地に信者と一緒に埋葬するわけにも行かず、異教徒あるいは背教者に対する対応である火葬に附すわけにも行かず、ということで、自分たちで墓地を持つまでは、出生時に洗礼をしていたようです。特にこの習慣は、エクスクルーシブ・ブラザレンでは長く続いたようです。

 幼児洗礼といえば、若干呪術的なイメージがつきまといがちですが(確かにそういうところはないわけではありませんが)、本来は少し違う意味があったようです。

 聖霊のバプティスマという考え方が、ペンテコステ派の一部の方々や、第3の波の影響を受けたグループの方々の聖書理解には含まれるようです。しかし、ブラザレンは、伝統的に聖霊のバプティスマに付随するとされる癒しとか異言といったものは使徒時代のもので、現在のものではないとする人々が多数派だと思います。アンケートをとって、正確な統計を取ったわけではないので、なんともいえませんが。

 ただ、イエスを信じる、という普通の常識では、あるいは理性では受け入れられないことが受け入れられるようになった、ということは聖霊が働いた、ということであるから、聖霊のバプティスマだ、という考え方をお持ちの方たちもいます。ブラザレンは、聖霊の導きを大事にしますので、聖霊が内在していると考えているわけですから、何処かの段階で聖霊のバプティスマがあったと考えているといってよいと思います。

 バプテスマを受けたところで、異言を語ったり癒しができる能力が備わるようになったりするわけではないとされています。私自身は、理知的な信仰スタイルを目指しているので、バプテスマを特別の能力を与えるための儀式とは思ったことはないです。あるいは、その儀式を受けたからといって、特別な能力が与えられるとは、思っていないですねぇ。

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