ブラザレンについての諸断章

このブログは、プリマスブラザレンに関する個人研究の成果なんかを書いています。所属集会(教会)の公式見解ではありません。

ブラザレンと献金

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]

 最後に余談めいたお話を。

 キリスト集会での献金のガイドラインは、一応金銭所得の1/10ということが推奨ルールですし、信者間での暗黙の了解事項だと思います。学生アルバイトでの現金収入も、基本、バイト代の1/10の献金をしておりました。何の疑念もなく。そんなものだ、と何も考えていなかったこともあります。

 ところで、聖書の中に、2レプタ銅貨を投げ入れた投げ入れた貧しいやもめの話(マルコ12章とルカ21章)があって、これが彼女の所持金全額だったので、イエスがこの貧しいやもめが最もたくさん入れた」と言及したという記事があります。2レプタというと、今の日本での金銭換算すると50円とか100円とかいった金額だと思います。

 この部分の解釈として、
(1)やもめにならって神にすべてを捧げましょう(あなたの持っているものすべてを神に捧げましょう)
(2)やもめの捧げる精神を学びましょう(全額入れる必要はないがすすんで捧げる必要を理解しましょう)
(3)イエスは、金額そのものに目を向けるのではなく、やもめの神への信頼を評価された(金額で他者を評価することのないように)

その他多数の解釈のバリエーションがありますが、イエスは、「多くを捧げた」とこの会堂の中で主張した、とだけ記されていて、「○○せよ」とか、「やもめと同じようにせよ」とか言っていないことは注目に値すると、私は思っています。この聖書の箇所をもとに、「どうせよ」とか「かくあるべし」とかいう方もおられます。

 「すべてを主にささげるべし」という解釈をここからされる場合、そのような趣旨の解釈については、ご発言しておられる個人の方の解釈であって、つまり、そのかたがたに与えられている聖書の理解(はみ出し部分)だと思います。「熱心に限界まで献金せよ」ということは、聖書そのものの言及ではないことに着目しておいたほうがよいのでは、と思います。まぁ、この「やもめ」のことが記述されていることには、何らかの意味というか神の意図があるとは思うのですが、それは、神ならぬ人間である私にはよく分かりません。個人的な解釈としては、神に従って生きる中での神にゆだねることを示そうとしたのだろうとは思います。その意味で(3)の解釈が私個人の解釈に一番近いです。

 とりわけ、(1)のような解釈になると、ちょっとカルトの匂いが漂うように思います。聖書は持てるものをすべて捧げよ、とはあまり言っていないようです。確かに、初代教会が共同体を形成し、財産を共有していた話もありますが、アナニアとサッピラの例にもありますが、「持っている財産は自由にしてよい」と言うペテロの理解が記録されていますから、献金はあくまで自由で自分と神との関係で決めてよい、と理解するのが素直かなぁ、と思います。
 また、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」と申命記6章の中にありますが、このことから、あなたの持っているものすべてを尽くして、ということを言うことは少し無理があるかなぁ、と思います。すべてを尽くしてささげることを強調した場合、律法の中でのほかの記述と矛盾しますから。もちろん、金持ちの青年の話もあり、彼には「全財産を売り払ってついて来い」とイエスは言っていますが、これをすべての人に当てはめる形で、拡大解釈するのもどうか、と私は思います。

 ところで、もとのやもめの献金の話に戻しますが、やもめに対して、民全体の共同体として養う責任があるとされていたユダヤ社会(ボアズなんかがその実際事例)とその種の共同体の存在しない現代社会において、同列に議論することは非常に問題があるように、私個人は今現在思っているのですが。やもめは、共同体で養われました。だからこそ、心配なくささげることができたようにも思うのです。元々、持っていないわけですし、あまったものは、共同体のもの。彼女の共同体に、献金という形で帰したのだろうと思います。あくまで、これは、私個人の見解です。違うご意見の方もいらっしゃって、当然と思います。

 個人的には、多元主義者なので、献金についてもいろいろな考え方があってもいいし、それをお互いの考えとして、尊重し合えるキリスト集会(教会)とそのようなタイプの信徒が増えて言ってくれるとうれしいなぁ、と思っております。

 同様の問題は、不動産の管理でも発生し、相続や登記、税金の負担などの問題で苦労した経験のあるキリスト集会(キリスト教会)や、現在も苦労しておられるキリスト集会(キリスト教会)は数多いと思います。組織を形成せずに不動産や財産を保護するためには、信託組合のような一種の財産管理組織を作るしかなく、その管理組織に関しては、信託銀行に手数料を払う必要があるようです。組織を作らないという麗しい理念の裏側で、苦労しておられる会計担当者や信徒の存在があるように思います。財産保護の観点からだけ言えば、宗教法人化するのが一番楽なのですが、戦前の宗教団体法の問題と「キリスト集会は組織ではないし、組織を作らない。キリスト集会(ブラザレンのキリスト教会)は、真の聖書を中心にした神とそれを信じる信徒の交流をしているのであって、形式化した宗教行為をしているのではない」という立場に立つキリスト集会(キリスト集会)は、宗教法人の取得に、信者の抵抗感があります。この立場に立つキリスト集会が非常に多いことも、また確かです。
 とはいえ、都会部での地価が異常に高騰した現在、宗教法人を作らずに不動産の維持管理は困難なので、キリスト集会の中にも、宗教法人格を取得しているキリスト集会はいくつかあります。個人的には、土地と建物という不動産を持つのであれば、宗教法人格を取得したほうがいいのでは、と思っています。

 組織でない、ということもあり、規約がない以上、税務調査に入られたら(そんなことはないとは思いますが)下手をすると、献金額すべてが責任者の個人所得として認識されても仕方のないところがあります。このためだけにも、みなし法人(権利能力なき社団)の形式的要件だけは整えておくほうが良いと思います。個人所得とみなされたときの追徴課税額はかなり大きいと思います。それを、キリスト集会に出させるのもいかがなものか、とも思いますが、責任者の個人負担で済ますというのも、どうかなぁ、と思います。結構、追徴課税となると、大きいはずなので。

 どのような不利益があっても規約を作らないということ自体は、それはそれで一つの見識ではありますが、外部の人から見たら、礼拝とか聖餐式とか呼ばれる「真の聖書を中心にした神とそれを信じる信徒の交流」は、社会通念上、宗教行為であるのであり、それを自分たちは形式化していないから宗教行為ではない、ということは論理矛盾をきたしているように思われてもしょうがないかなぁ、と思います。外部の人から見れば、何を独り相撲とっているのだろう、と思われているかもしれません。ただ、宗教法人法の申請の時に必要となる主たる礼拝の対象は写真に撮影したり、書いたりしにくいので、宗教法人の申請書は書きにくいことはその通りですが。なお、都道府県によっては温度差がありますが、みなし法人(権利能力なき社団)でも活動はできるので、とおっしゃる都道府県の宗教法人担当部局もあるようです。少なくとも、みなし法人としての要件だけは備えておくべきかなぁ、と思います。

 しかし、これだけ、色々なことを明文化して、透明化することが求められる時代の下では、それに対応して、形式的な書類としても契約書、領収書、会計帳簿、構成員名簿(少なくとも責任者の選出記録)、運営に関する議事録の記録程度は、具備しておくことは重要になってくるかもしれません。

 信者数が2名とか3名のキリスト集会(こういう小規模の集会もあります)ところであると、自分が献金した額は分かりますから、相手の献金額もわかってしまう、ということもあるので、会計を明らかにすることが必ずしもすべて好ましいとは限りません。そのときの状況しだい、ということもあろうかと思います。
 また、小規模の教会ですと、毎週献金の決済をしていると、個人個人の献金額の特定に近いところまで言ってしまうので、その辺でも工夫が必要な場合があります。意外と、献金の処理というのは簡単そうで、そう簡単でもないし、あらぬところに影響することもあるので、神経を使います。

 マネーロンダリングの問題が発生する以前は、都市銀行以下信用組合、郵便貯金など、結構簡単に組織名で口座を作ることができたのですが、マネーロンダリング問題が発生してから、組織名で口座を作れなくなったので、結構対応に苦慮しておられるキリスト集会も少なくないと思います。
 現在、金融機関で任意団体(権利能力なき社団)が団体名で預金口座を開設する場合、代表者のリスト及びその団体の規約が必要であること、また、他の第三者との契約事項を示す何らかの客観性を帯びた書類(契約書とか領収書など)が必要なことが多いようです。

 組織ではない、ということを重視してきたブラザレンにとっては、この規約の策定ということが組織形成ということにつながるということもあり、非常に苦しい思いをしておられるところも少なくないと思います。
 もし、規約が作れない、従って口座が作れない、となると、個人名義で金融機関に口座を作ることになります。個人名義で口座が作ってしまった場合、例えば、金融機関の破綻に伴う預金保護で保護される預金額は1000万円上限になるので、それをどう処理するのか、金利を取らずに、全額補償される預金口座にするのかという問題も発生します。また、口座名義人の信者が志望された場合、教会の財産として考えるべきものなのか、個人資産なのか区別がつきにくい、という点で誰がその資産を相続するのか、という相続の問題が発生してきます。信仰の継承がある場合、同一のキリスト集会に親子で参加している場合はいいのですが、相続人が信者でない場合、おおもめすることになりますし、裁判となったときには、客観的な教会名の入った通帳などの証拠資料がないと、おそらくキリスト集会は自分たちの預金であっても、相続できない可能性のほうが多いと思います。

 組織を作らない、形成しないというのはいいのですが、現代の社会の中で、次第にやりにくくなってきていると思います。

 献金額の公開(週単位であれ、月単位であれ)について、公表するところと公表しないところがあります。これもその集会の伝統や過去の経緯によってどのような態度となるかが決まります。公表すること、しないことのどちらが聖書的かということはいえないように思います。それこそ、教会(集会)の自治にゆだねられている範囲だろうと思います。ただ、私個人としては、信者さんへの情報公開と会計の不正の防止の観点から、公開することが望ましいと思っています。会計の不正、というのはめったに起こりませんが、めったに起こらないからといって、起こらないということではないので、会計責任者への不必要なプレッシャーを回避するためにも、原則公開、ということが望ましいと思います。

 イギリスのブラザレンでも、キリスト集会の会計帳簿そのものがなかったキリスト集会に税務当局(内国歳入庁)の査察が入り、会計書類を出せといわれたけれども、そんなものがそもそも存在せず、どんぶり勘定で運営していたスコットランドのキリスト教会の話が、Neil DicksonのBrethren in Scottlandにでてくるくらい、わりと会計に無頓着というところはあるように思います。

 この種のどんぶり勘定的な運営は、もともと、少人数で運営する形の家庭集会から出発した集会(キリスト集会)が多く、多額の会堂運営に関する資金が必要でなかったこと(つまり自宅を一時的に開放した教会運営をしてきたこと)、また、この運動の出発点に重要な役割を果たした、アンソニー ノリス グローブスがどこからの支援も無しに神から必要なものは与えられるはずだという確信に基づき、冒険的な海外伝道活動に従事したこと、さらに、その影響を受けたジョージ・ミューラーとクレイクの孤児院運営がなされたこと、それに習う形で教会運営がなされたことなどの伝統に依拠すると思います。この「必要なもの(資金)は神が与えるはずである」という思想は、ウォッチマン・ニーなんかにも強く影響していきます。

 日本では、日本銀行券(円)の信用力が高く、決済手段として現金での決済比率が高かったことから、献金も現金でということが普通です。

 ところが、アメリカでは、決済手段が歴史的な関係でしょうが、基本的に個人小切手(パーソナル・チェック)なので、献金に結構小切手が混じります。それこそ、スターバックスのコーヒーショップでも、たかが数ドルの支払いのため、チェックを使う人々を見ることができます。珍しいですけど。スーパーでも地元の銀行の小切手であれば、支払いに使えます。一番極端な使い方は、スーパーのお買物で、60ドルのお買い物をして、100ドルの小切手をスーパーのレジ係に渡すと、お釣りの40ドルは、現金でくれます。アメリカに最初いるころは、この辺の感覚が分かりにくかったですが、結構少額貨幣を下ろすのが面倒なときには、便利な方法だったりします。小切手を持ち歩かないといけないのがつらいところではありますが。学校の給食代(毎日払う)も、小切手ウェルカムだったです。1ドル50セントの(one dollar and fifty centsと書かないといけない)小切手を何枚切ったことか。

 イギリスはどうかはイギリスに滞在したことがないので、よく知りませんが、おそらく、イギリスでも未だに個人小切手決済は健在だろうと思います。


 となると、献金も小切手で、ということが結構行われます。アメリカの集会でも、小切手による献金の事例と出あったことがあります。

 小切手の場合、誰がその小切手を振り出したのかは一目瞭然なので、小切手を使った人に関しては、いくら献金したかは会計責任者にはまるわかりとなりますが、気軽に小切手を使う習慣があるので、献金もこれで、ということもあるようです。個人的には、ちょっと抵抗感がありました。とはいえ、小切手決済が多いと、誰がいくら、ということまで気にせず計算することになるので、あまり気にならないんでしょうけれども。参加していた北米のキリスト集会は、10人くらいしか信者がいないキリスト集会だったので、なんだかなぁ、と思った記憶があります。

 そのときに参加した教会(キリスト集会)でお話を伺ったところによれば、日曜日に集めた献金(現金及び小切手)をそのまま月曜日に銀行に持ち込んで、預金しておられるとのことでした。あと、小切手にすることのメリットは、受け取り手が特定化されて個人が発行しているので、勝手に小切手を抜き取っても、意味がない、というところもあります。つまり、献金を勝手に持っていくことを防止する意味では、効果があるということもあるようです。

 日本では、個人小切手を切ろうと思ったら、結構大変なので、時々困ったなぁ、と思うことがあります。というのは、100万円を超える決済を現金でするのはすごく不安ですが、小切手だったら、小切手番号さえ言えば、その小切手を無効にできたりするので、非常に楽なんですよね。
 住宅購入の際に手付金を払うのに小切手を使おうと思って、銀行に相談したら、すごい嫌がられたので、しょうがない、100万円札の束をいくつか住宅販売会社に持っていった記憶があります。

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]


.
kaw*muk*ih
kaw*muk*ih
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

過去の記事一覧

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

お肉、魚介、お米、おせちまで
おすすめ特産品がランキングで選べる
ふるさと納税サイト『さとふる』
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事